その88 「やりたくない」を「やる」に変える間には、ビジネスチャンスがあるみたい

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「やりたくない」を「やる」に変える間には、ビジネスチャンスがあるみたい

社員さんの中に「断捨離」が趣味って方がいるんです。
彼女は「今、断捨離していますよ」って言って、定期的に色々と捨てるわけですが、よくよく話を聞いていると、結局また別の代替品を買っていたりするんですよね。
「それって断捨離なのか・・・!?(汗)」って、たまにギモンに感じることはあるんですが、彼女は至って真面目、本気なんです。

その断捨離の彼女、「最近、運動不足だ」ってことで、ジムに行こうって考えたんです。
家だとまったりしちゃって何もやらないし、外を走ったりするのも気が向かない、ってことなんです。
そして、ジムに毎月お金を払えば「もったいない!」「元を取ろう!」って気持ちになって、運動するだろう・・・そんな発想ですね。
この気持ち、僕もめちゃくちゃ分かります。
その彼女、スタートダッシュは素晴らしかったんです。
仕事終わり、毎日のようにジムに行き、そりゃあもう充実したアーバンライフをおくっていました。
しかし、ほどなくして、彼女はジムに行かなくなります。
・・・まぁ、予想通りの展開ですよねw

ところが、彼女は改善案を考えたんです。

ジムに行くのは面倒だけど、それなら自宅でやればいいじゃないか!

・・・このモヤモヤする気持・・・
自宅では何もやらないから、お金を払ってまでしてジムに行ったんじゃあ・・・(汗)
彼女の頭の中で、一体何が起こっているのか!?

そのため、彼女は任天堂Switchとトレーニングができるゲームソフトを購入して、自宅で軽い運動をすることを計画したんです。
ところがそのゲーム、テレビに接続してやらないと、さすがにSwitchの画面でやるには小さすぎて難しいんですよね。
彼女は断捨離でテレビを処分していたので、トレーニングゲームをやるために、モニターを買うことになって・・・
断捨離してきたはずなのに、Switchとゲームソフト、さらにモニターが増えてしまうという・・・
もう、「断捨離が趣味」とか言わないでほしいw

でも、彼女の行動には「にんげんだもの」を感じて、僕はすごく親近感がわきます。
人って不思議なもんで・・・

◯◯が“無い”からできない…
◯◯が“有る”からできない…

・・・なんて風に、「できない言い訳」を考えちゃいますよね。
断捨離の彼女の「運動」って、そもそも「やりたくないこと」だから、できない理由を必死で探します。
実際のところ、彼女が考える強度の運動は、いつでもどこでもできるし、器具なんて一切必要ないはずなんですけどね。
僕も運動嫌いなので、彼女の気持ちはよく分かります。

こんな風に考えると、「やりたくないこと」をやるために費やすエネルギー、時間やお金って膨大ですよね・・・
「やりたくないこと」をやるために、お金を払ってまでしてジムに行くとか、よく考えたら奇妙なことですね。
きっと、「やりたくないこと」をやるためのアイデアって、ビジネスになるんでしょうね。
だって、「やりたいこと」をやるよりも、使うエネルギー(お金や時間)が多いですからね、良いビジネスなのかも。

そんな風に考えてみると、これまでゲームに興味なんてなかった断捨離が趣味な女性に、Switchとゲームソフトを買わせる任天堂ってやっぱりすごいですね。

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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