その197「日本総マイルドヤンキー化時代」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「日本総マイルドヤンキー化時代」

昨年末、社員さんとフィリピン出張に行ってきました。
ちなみに、12月中後半からクリスマスにかけてのフィリピンは、タクシー(Grabなど)をつかまえるのがものすごく難しくなります。
クリスマスで利用者が増える一方で、ドライバーが田舎に帰省したり休んだりで、需要と供給のバランスが思いっきり崩れるからなのです。
フィリピンに先入りしていた僕もその洗礼を受け、空港への車が全く見つからず、フィリピン人マネージャーに相談して彼の車で空港へ向かうことになりました。

さて、日本からフィリピンにやって来た20代の社員さん、実は今回が初めての海外でした。
比較対象もありませんから、「フィリピン、どう?」と聞いても具体的な感想が返ってくるわけではありませんが、彼女の発言に驚きました。

「海外旅行について調べていると、ネガティブな事柄ばかり目について不安になる。」
「そんな危険を冒してまで海外に行きたいって思えない。別に日本で十分だと思ってしまう。」

な、る、ほ、ど・・・(汗)
日本には四季もあるし、自然も豊か。大都市もあれば、田舎もあるし、歴史的建造物も多い。清潔だし、食べ物も美味しくて安い!
僕は十数各国程度しか海外を見て回っていませんが、日本はあらゆる面で平均点以上だし、一通り揃っていると思います。
とは言え、海外で「◯◯を見てみたい!」「◯◯を食べてみたい!」「◯◯を体験してみたい!」とは思えない、仮に思ったとしても「リスクを冒してまでやってみたい」とは思わないとのことで、僕は驚き、怖くなりました。

昨今、調べればいくらでも情報は出てきますし、ユーチューバーのVlogを見ているうちに、自分がその国に行って何かを体験してきた気分になってきますよね。
「脳は現実と想像の区別ができない」と言われますが、いつの間にか実際に体験したと勘違いして満足しているのかもしれません。
「Balut(バロット)って知ってる?」と聞かれて、「Balutって、孵化直前のアヒルの卵を茹でたやつでしょ。塩とか酢で食べるチキンスープみたいな味のやつでしょ?見た目がグロテスクだし、わざわざ食べるまでもないんじゃない!?」としたり顔で語れる日本人はいるかもしれませんが、実際にBalutを食べたことがある日本人はほとんどいません。
ちなみに、このBalutはフィリピンにもありますが、フィリピン人全員がBalut好きなわけでもなく、彼らに聞いてみると実は苦手な人もかなりいます。

今やどんな情報も無料ですぐに手に入りますから、「知っている」人はものすごく増えていますよね。
一方で、「実際に体験をしたことがない」という人もたくさんいます。
これは、他所をよく知らないのに、「やっぱり日本が一番だよ」と言っている状態で、なんだか地元を愛するマイルドヤンキー化が日本全国レベルで広がっているように思えてますね。

外から見た日本はどう見えるのか?
それを感じてもらうためにも、実際に海外に出て日本を見てほしいですね。
魅力も残念なところも見えてくると思います。
それでもなお、マイルドヤンキーでいられるのでしょうか?
ちなみに、アメリカの社会学者が日本を見て、『JAPAN AS NO.1』という著書を出したのは、もう半世紀近くも前のことです。
その頃、日本はどんな風に見えたのでしょうかね。

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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