泉一也の『日本人の取扱説明書』第21回「無宗教の国」

では、「精神的な支え」とは一体何なのか。なぜ他の動物は不要なのに、人間は精神的支えが必要なのか。それは、「自我」が強いからである。自我が増大したことによって、「私とは何か?」「私という存在は何に生かされているのか?」「私は死んだらどうなるのか?」という答えのない疑問が付いてまわる。自我が強い分、自我を保証する確たるものがないので、迷いと恐れも強くなってしまった。迷える子羊を救い、恐れを幸せに変える力が宗教にはある。つまり宗教は自我を保証してくれる存在なのだ。宗教から、巨大で美しい建築物、芸術性の高い像や絵や音楽が数多く生まれている。それらの作品は、我々の不安定な自我を救ってくれる安定感と豊かさに満ちている。

なのに、日本は無宗教と答える人が7割もいる。信仰心はあっても、何かの宗教に所属し活動をしていない人も多く含まれているだろう。なぜこんなに無宗教が多いのか。それは、日本人はすでに支えを得ているから、宗教が必要ないのだろう。島国であり、単一民族であり、平和国家で経済的に豊かである。そして王朝が変わることなく何千年と続くなかで育んだ文化がそこら中にある。山に川に海に大地からの自然の恩恵も溢れている。つまり精神的な支えとなるものを、歴史と自然と生活の中にすでに持っているのだ。命とは?魂とは?人生とは?といった定義書に立ち返らなくとも、日常でなんとなく支えを感じているわけだ。

普段から精神的な支えを感じている日本では、災害が起こった時でも、暴動や略奪などの混乱が生まれにくい。そして、宗教活動で道徳を教えなくても倫理観を日常生活から学んでいる。今、もし倫理観が崩れつつあるとしたら、日本らしい精神的な支えを感じる機会が減ったからだろう。確たる何かに救済を求めずとも、日本という歴史、自然、文化、生活の中に宗教は身近にある。例えばご縁、挨拶、出世、利益、喫茶・・という日常用語はすべて仏教用語であるし、災害を天災といい、優れた人を天才(天賦の才)といい、お役目を天命といい、太陽をお天道様といい、帝を天皇といって、日常に「天」を感じる機会が多い。

企業で、コンプライアンス違反やデータ改ざん、ハラスメント、心の病が増えているのなら、日本の歴史・文化から自分たちの仕事や商品とつながる「何か」を探しだせばいい。それが見つかった時、日本でビジネスをしている「必然」が社員の心の支えとなり、会社の安定を築くのだ。

 

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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