そもそも仕事とは、何なのか。
この定義から全ては始まる。
働いて、お金を稼ぐこと。
もしも、そう定義するとしたら、働くとは何なのだろうか。
誰かの役に立つことなのか。
上司の指示に従うことなのか。
それとも、お金になる活動をすることなのか。
「働いて、お金を稼ぐ」という言葉を使う時、
多く人にとっての主語は「働く」ではなく、
「お金を稼ぐ」の方にある。
つまり、お金を稼げない「働く」には意味がなく、
お金を稼げるのであれば、
それは立派な「働く」である、ということ。
だからこそ、多くの人は雇用にこだわるのである。
特に正社員として雇用されることに。
社員として雇用されれば、給料は保証される。
すなわち、お金を稼ぐという目的は、
雇用された時点で達成されるのである。
何をもって働くと定義するのか、そんなことはどうでもいい。
働くとは、会社や上司の指示に従い、
規定の報酬を得ることなのである。
だが、考えてみてほしい。
仕事は、いつ生まれたのか、ということを。
お金という物体、いや、その概念が登場するずっと前から、
仕事は存在したはずである。
食料を探す。家を建てる。衣服を縫う。
子育てをする。物事を決める。みんなをまとめる。
太古の仕事には、お金という報酬はなかった。
支え合い、助け合うことが、仕事の原点だったのである。
得意なことで他人を助け、苦手なことで他人に助けてもらう。
持っているものと、持っていないものとを交換する。
その助け合いや交換を潤滑に行うために、お金は誕生した。
主は仕事であり、お金はその手段に過ぎなかった。
だがその順番が、いつの間にか逆転してしまったのである。
何が得意か、何が苦手か、
誰の役に立つのか、どう役に立つのか。
メインテーマが後回しにされ、お金を稼ぐことが目的になった。
今や、我慢して金を得ることが仕事だ、
と思い込んでいる人さえいる。
働くは「はたを楽にする」が語源だとも言われる。
はたの役に立つという考えが、人と人とを繋ぎ合わせ、
社会を形成してきたのである。
つまり仕事とは、
人間と人間を繋ぐためのパイプのような存在なのだ。
パイプがあることによって、人と人とは繋がっていく。
逆に考えれば人間がいる限り、集団で生活している限り、
絶対に仕事は無くならないのでる。
ロボットや人工知能によって、
人間の仕事が奪われてしまうと恐れている人たちがいる。
だが奪われていくのは、仕事ではなく雇用なのだ。
人間に給料を払うよりも、
ロボットを導入した方が安上がりで儲かる。
そう判断したら、
企業は迷いなく人間を雇用することをやめるだろう。
だが雇用などなくなっても構わないのである。
いや、それは無くなるべき時期に来ているのかもしれない。
雇用され、指示に従い、
嫌なことも苦手なことも我慢し、所定の報酬を得る。
そんなものは仕事ではない。
好きなことや得意なことで人の役に立ち、
その結果として人からも支えてもらえる。
それが本来の仕事なのだ。
本物の仕事は決して、ロボットには奪えないものなのである。
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