Googleが守る文化的生活

すべて国民は、健康で文化的な
最低限度の生活を営む権利を有する。
と憲法25条には書かれている。
ただ単に生きているというだけではなく、
健康で文化的な生活を営む権利が
日本国民には保証されているのだ。

だがここでひとつの問題にぶつかることになる。
健康で、文化的な、最低限度の生活とは、
いったいどのような生活なのかという問いである。
牛丼やコンビニ弁当を食べ、ユニクロの衣服に身を包み、
公営住宅で暮らす国民は、その基準を満たしているのか。

15歳までの教育が保証され、
多くの病気には医療保険が適用され、
収入のない人には生活保護費が支払われる。
これは最低限度の生活が守られた状態なのだろうか。
何をもって健康な生活、
文化的な生活と言えるのだろうか。

たとえば地方都市で車を持つことは
最低限度の生活を超えているのか。
エアコンは健康的な生活には必要ないのか。
パソコンやスマホなくして文化的な生活はできるのか。
これはなかなか難しい問題である。

健康で文化的な生活の基準は時代と共に変化する。
これは避けようのない事実である。
現代社会で暮らす私たちにとって、
健康とは肉体だけの健康ではなく、
精神的な健康まで含まれる。

ブラックな職場で我慢しなくていい自由も、
堂々と有給休暇を取る権利も、
最低限度の生活には不可欠なのである。
このような時代において、最低限度の生活を
国が保証することなど出来るのだろうか。
すべてを保証していたらとてもではないが国は保たない。
当然のことながら会社も保たない。

もはや国や会社が
最低限度の生活を守れる時代は終わった。
そう考えるべきではないだろうか。
では現代社会において
最低限度の生活を保証出来るのは誰か。
それはGoogleである。

現代社会では文化的な生活に、
いや、生きていくためにネットとの接続は欠かせない。
ネットとの接続は即ち社会との接続なのである。
いつでも、どこでも、社会を検索し、
社会に発信し、社会と繋がる状態。
それが現代社会における
最低限度の健康で文化的な生活なのだ。

その生活はGoogleなくして実現しない。
Googleはあらゆる情報を整理してくれる。
仕事を探すことも、商品を買うことも、
どんな情報を知ることもできる。

今どこにいるのか、何が流行っているのか、
どこに行けば誰と出会え、何が手に入るのか。
ネットに接続する自由と権利。
それを守っているのはGoogleなのである。

 


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