得意の配置

学校で習う教科は限られている。
国語、算数、理科、社会、
英語、音楽、美術、体育。
主要5教科の得点が高い生徒は進学を目指し、
音楽、美術、体育などに秀でた
才能を発揮する生徒は、その分野での
スペシャリストを目指す。

ただしスペシャリストとなるためには
天才的に秀でた才能が必要だ。
ちょっと絵がうまい、
ちょっと運動神経が良い程度では、
スペシャリストとして食っていくことは
不可能なのである。

結果的に99.9%の生徒は進学を目指す。
つまり主要5教科を一生懸命勉強するのである。
スペシャリストとしての資質がなく、
なおかつ主要5教科の得点が低い生徒。
彼らはいわゆる落ちこぼれとして、
社会不適合のレッテルを貼られてしまう。

5教科の得点が高い生徒にしても、
理科や算数を極めて学者になるものなどほんの一握り。
その多くは2度と使わないような知識を詰め込まれて、
社会へと旅立っていく。
言われたことを、言われた通りに、しっかりできる者。
という肩書きを背負って。

社会に出たことのある人間なら分かるが、
学校で習うことなど社会全体の1%にも満たない。
たとえば運動神経は悪いが野球の知識は豊富である、
という子供は学校では評価されない。
だが社会ではそういう人たちが
スペシャリストとして大金を稼いでいたりする。

スペシャリストとして社会で活躍できる分野は
星の数ほどあるが、
社会に出たことのない子供達はその事実を知らない。
知らないまま社会人となり、
知らないまま仕事についていく。

学校の教科がたまたま得意な人を神童と言う。
5教科の得点が高く、運動神経も良く、
音楽まで得意な子供。
クラスのみんなが羨む何でもできる天才。
そのように見える。
だが実際には学校内での教科に
向いていただけの話である。

あらゆる分野に才能がある人間など
この世にはいない。
人間の得意分野などせいぜい1割がいいところだ。
それ以外の9割は不得意なのである。
では社会全体の生産性を考えたとき、
最も大事なことは何か。

それはもちろん、それぞれの人間を
得意な分野で働かせることである。
だがこれが難しい。
なぜなら学校という場所では
一部の得意にしか触れる機会がないからだ。

何が自分の得意分野なのかが分からない。
分からないまま社会に出る。
分からないまま仕事をしていく。
それが現実なのだ。
これで生産性を上げようということが、
そもそも無理な話なのである。

 


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2件のコメントがあります

  1.  高校3年生の受験生がいます。数学が好きで、数学科に行きたいと行っています。そこで、親子会話で今回のコラムの内容を自分の職業体験と供に伝えたいと思います。
     いつも面白い視点のコラム、ありがとうございます。
                          以 上

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