お金をありがたがるのも、
ダイヤモンドが高いのも、
土地を所有したいと思うのも、
価値があるからである。
そして価値とは人間の記憶に他ならない。
もしもすべての人類がひとり残らず記憶をなくしたら、
価値はどうやって存続されるのだろうか。
記憶喪失の人に「この人があなたの妻です。
この人があなたの夫です」と言われ、納得せざるを
得ないのは、自分以外の人がそれを事実として
記憶しているからである。
もしも全人類が記憶をなくしたら、
果たして人々は戸籍どおりに集まり、
もう一度同じ相手と家庭を再開するだろうか。
私はしないと思う。
人が借金を返すのも、子供の養育費を払うのも、
「これは私が借りたお金だ」「この子は紛れもなく
私の子だ」という記憶があるからである。
言いたいことはわかった。
だが所詮はオカルト話だ。
人類が記憶を無くすことなどあり得ないだろう。
そう思われるだろうか。
では驚くべき事実をお伝えしよう。
我々が「これは正しい記憶だ」と認識していることの
中には、多くの改竄された記憶が含まれているのである。
嘘を事実として記憶に刷り込む心理実験は何度も行われ、
すでに実証されている。
繰り返して同じビジュアルを見せ続けることで
人は嘘でも事実だと信じてしまう。
あなたが信じている幼い頃の記憶は本物だろうか。
ウサギと戯れる子供の頃の写真を見せられて
「あなたはすごく動物が大好きだったのよ」と
何度も繰り返されたら、
それは事実として記憶されるだろう。
親がそれを事実として記憶していたら尚更である。
もしそれが事実ではないとしたら
親はなぜそんな嘘を信じてしまうのか。
それは自分にとって都合がいいからである。
「この子はいい子だ」「元々は賢い子なのだ。
優しい子なのだ」と親は信じたい。
そして信じてしまう。
記憶の刷り込みはいいことばかりとは限らない。
「あいつはひどいやつだ」「あいつは俺を裏切った」と
ありもしない恨みを自分に刷り込む人もいる。
記憶を操作しているのは誰だろう。
陥れようとする他人だろうか。
じつは多くの人は操作されるまでもなく
自分で自分の記憶を改竄している。
自分にとって都合がいいように、納得がいくように、
記憶はつくられていく。
さて、経営者が考えるべきは何か。
経営者は価値を生み出したい。
では価値はどこで生まれているのか。
それは顧客(見込み客)の頭の中で作られる。
価値づくりとは記憶づくりなのである。
尚、同日配信のメールマガジンでは、コラムと同じテーマで、より安田の人柄がにじみ出たエッセイ「ところで話は変わりますが…」と、
ミニコラム「本日の境目」を配信しています。安田佳生メールマガジンは、以下よりご登録ください。全て無料でご覧いただけます。
※今すぐ続きを読みたい方は、メールアドレスとコラムタイトルをお送りください。
宛先:info●brand-farmers.jp (●を@にご変更ください。)
1件のコメントがあります
記憶は変動するということに驚きました。確かにです。その変動は自分に都合がよく、親も含む他者からも都合がよく改変できる、影響されるという人間特性だと思いました。
一方、物理的な事実(時速〇〇km/m、震度〇〇の地震が〇〇に起きた、〇〇さんが〇〇に亡くなった)は一つですが、その事実の記憶に基づく思いや捉え方の根底には、そもそも「何も無し」で、その人が何も無しから「創造するもの」なのかもしれません!