このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
コロナで気づいた、「我慢」がビジネスのヒントだって
この前、会社の朝礼時、「コロナが落ち着いたら何したい?」って話になったんです。
弊社スタッフの回答で多かったのは・・・
・海外旅行
・里帰り
・・・ということで、「移動(長距離)」が伴うものでした。
あと、「そもそも、私はインドア派なんで、家にいることは苦痛じゃないんだけど…」って前置きする人が多かったですね。
ところで、「我慢して自粛している人も多いのに、フラフラ出かけるなんてけしからん!自分だけ良ければ良いのか!」って怒っている人いません?
でも・・・
出かけずに家に居ることが我慢じゃない人って、まぁまぁ居ると思うんですよね。
だから、「あなたはおとなしく家に居て素晴らしい!」って褒められても、それもなんか違うのよね。
だって、単に家から出たく無いだけなんだからw
と言うのも、僕も、休日は重力に屈し、ソファの上から動けず、ヘドロのようになっているダメ人間なんです。
だから、家に居ることにについて、なんの我慢もしていません。
一方、自宅でおとなしく過ごすのが苦手な人にとって、それは苦痛ですよね。
だから、そういう人からしたら、「我慢」になるわけです。
「我慢して自粛している人も多いのに、フラフラ出かけるなんてけしからん!」と考えている方の中には、自宅でおとなしく自粛するのが苦手なタイプの方もいらっしゃるのかもしれませんね。
考えてみれば、ある人にとっての我慢を代わってあげることが、ビジネスになっていたりしますよね。
自分にとって辛く感じることをやってもらう代わりに、その対価を払う。
だから、「人が我慢していることってなんだろう?」って考えることで、ビジネスのヒントが見つかるかも知れません。
コロナなどで社会情勢が大きく変われば、人の「我慢」も変わるわけで、当然ビジネスも変化し、チャンス/ピンチが生まれます。
ところで、弊社スタッフと話していて、「コロナ禍の中で、何をしてる?(何するようになった?)」って話にもなったんです。
すると・・・
・動画を観る(Netflix、YOUTUBEなど)
・・・というのがすごく多かったですね。
いくつかの調査によれば、「コロナ禍の影響で動画の視聴時間が増加した」とのこと。
なるほど、Netflixの株価が上がるのも納得です。
ところで、「動画を観る」は、なんの我慢を代替したものなんでしょうかね?
もしかすると、私たちは「退屈な時間を我慢している」のでしょうか?
だとしたら、リモート勤務や、外出を自粛したことで生まれた時間って、案外持て余しているのかもしれませんよね。
なんだか贅沢な悩み。
我慢を代替することで、時間を創出するビジネスとも言えます。
一方、ビジネスには、時間の奪い合いという側面もあります。
つまり、現在、時間の奪い合いの勝者が動画サービスということなんです。
コロナが落ち着いたら、我慢していた長距離移動が活発になりますね。
当然、時間の奪い合いの勝者も変わってくるでしょう。
しばらくすると、長距離移動は当たり前になり、我慢する必要はなくなってくる。そうなると、人は次に何を我慢することになるのでしょう?
生まれた時間の奪い合いの勝者は?
これには一つ問題があるんです・・・
こうして達観した風に言ってるわりに、僕になんのアイデアも浮かんでこないことなんですよね。
普段からあんまり我慢しないからでしょうか(T_T)
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。