その109 「センスの良い人に対抗する方法」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「センスの良い人に対抗する方法」

センスの良い人/悪い人っていますよね?

センスに関して一番最初に直面するのが、恐らく「運動神経」という言葉じゃないでしょうか?
「そんな神経存在しない!」というのはさておき、「運動神経が良い/悪い」という使い方がされますよね。
ちなみに、僕は運動神経は悪い方で、特に球技が苦手でした。
野球のボールを投げたら明後日の方向に飛んでいくか、地面に叩きつける、極度のノーコン・・・足でボールを操るサッカーなんて無理・・・まぁ、そんな感じでした。
最近、息子が「ドッジボールの練習をしたい」って言うんで、公園に行って、数十年ぶりにボールを投げたり、キャッチしたりしたんです。
そしたら、子供の頃よりも遥かに上手くできて、「指先に至るまで神経が通ったように、身体を自在にコントロールできている!すごい!」って感じたんです。(まぁ、運動音痴のおっさんレベルでの感動ですよ)
趣味で続けてきた格闘技(空道)で、手足を使って様々な動きをする必要がありますが、そこで身体を細かくコントロールする方法を学習したんだと思います。
その結果、自分が頭に思い描いた動きの再現度が高まりました。
そう考えると、運動神経が良い人って、「身体の統御に長けた人」なのかもしれませんね。

かと言って子供の頃、「思い描いた通りに身体を動かす練習をしよう!」・・・なんて思うわけもなく、それどころか最初からできちゃう子供だっているわけです。
これは運動に限らず、「絵がうまい」「歌がうまい」や「算数が得意」というのもあって、最近では遺伝的な要素でほぼ決まってしまうよ、なんて言われていますよね。
長く野球やピアノをやっていても、センスの良い子にあっさり追い抜かれるということもあるわけです。
大人になり、仕事でもそういうことはありますから、つくづく現実の厳しさを感じますよね・・・

僕の趣味の格闘技では、「打撃(パンチやキックなど)はセンス」と言われることが多いです。
一方で、寝技(レスリングや柔術など)は、習得するのに時間がかかると言われます。
キックボクシングなどで実績を残したプロ格闘家が、総合格闘技のリングにあがって受ける洗礼が寝技なのですが、転がされて、何もできずに負けてしまうことも少なくありません。
寝技は知恵の輪みたいなもので、解法(防ぎ方や逃げ方)を知らないとあっさり極められてしまうため、まずそれを覚えないと勝てないということなんです。
そのため、寝技ルールでは、長くジムに通っている柔術大好きおじさんに、若手のプロ格闘家が負けることもあり得るわけです。

こんな風に考えると、センスに対抗するヒントみたいなのが見えてきそうですよね。
別にセンスが良い人たちと敵対するわけじゃないですが・・・
自分のセンスに自信がない場合、「積み重ね」がものをいう土俵で勝負していけば良いのではないか!?って思うんです。
「思い描いた動きをする」というのも、そもそも正しく思い描けないといけないわけです。
前述の格闘技の寝技で例えると、技を知っていて、シチュエーションを体験したから、正しい動きを頭に思い描くことができるわけですから。

「自分の人生に何を積み重ねていくのか?」って、すごく重要な気がしてきましたよ。
そして、振り返ると、ろくな積み重ねがないことに気づいて愕然としますよね(汗)
さらに、注意したいのは、技術革新などでこれまでの「積み重ね」が一瞬にして意味のないものになる可能性だってありますよね。無駄が怖くて積み重ねもできませんよ。
センスもない、積み重ねも失われたとなったら、一体どうすれば良いのでしょうか・・・
怖くて眠れない((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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