その145「自己満足なのに、なぜ、人に言っちゃうのか?」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「自己満足なのに、なぜ、人に言っちゃうのか?」

「まぁ、自己満足なんだけどね」って会話、一度はしたことありません?
これ、よく考えたら、自己満足なのに、なぜ、人に伝えたくなっちゃうんでしょうかね。
自分の満足のためにやっているんだから、わざわざ言う必要ないのに。

昔、家具職人さんからお話を聞く機会がありました。
彼らの中には、自分が作った家具にこっそり名前を彫ったりする人もいるのだとか。
もちろん見える場所じゃなくて、板と板を継ぎ合わせる面など、家具をバラバラにでもしない限り絶対に見えないようなところに彫るらしいんです。
これは完全に自己満足だと思うんですよ。
だって、誰にもわからないし、オーダーしたお客様にも言えない、世界で自分だけしか知らない秘密ですから。

そう考えると、家具職人レベルの自己満足ってそんなに無いですよね。
案外誰かに言ってません?
知ってもらいたい、誰かの反応を求める時点でそれは純度の高い自己満足ではない!ってことなんですよ。
いやぁ、自己満足って厳しいですね。
凡人の自己満足って、心のどこかで、他人から「それ良いね♪」「すごい!」のリアクションを期待していますからね。
そんなリアクションを期待しているのなら、素直に「他人満足」を取りに行けばいいはずなんですけどね。
でも、もし、求めているリアクションが得られなかったら?って考えると怖いじゃないですか。
そんなとき、「いや、これ、自己満足だしさ…」って言えるのは大事ですよね。
傷つきたくないじゃないですか、にんげんだもの。
「まだ本気出してないし…」みたいな。
なんかね、こんな風に物事を捉えて、言っちゃうから、僕は友達少ないんですよねぇ・・・
「すごい!」って言われたいんなら、他人満足を取りに行けよ、って。

真実だとしても、それ言っちゃダメでしょうってことはありますからね。
サンタさんを信じている子どもに、「いやいや、サンタクロースなんかいないよw」みたいな。
僕は子供の頃から「サンタクロースはいない」と言われて育ち、クリスマスプレゼントもカラーボックスとか、工具箱とかで、仮にサンタさんがいたら「これじゃねーよ!」って怒り泣き叫んだであろうプレゼントをもらっていました。
そんなだからこんな大人になったのでしょうか・・・

さて、誰にも話していない、真に自分を満足させるためだけの行動ってあるか?って考えてみると、それほど無いですよ。
例えば、ナポリタンを作ったとき、わざわざ鉄板を用意して、タマゴを流し込んでその上にナポリタンをのせる、とか位です。(家族分の鉄板は無いので、僕のためだけのひと手間です)
あとは・・・誰にも言えない変な癖とかになるでしょうねぇ。
家具職人の自己満足と比較して、「僕はこのままででいいのだろうか?」って気がしてきましたよ。

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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