その236「決断、していますか?」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「決断、していますか?」

 

ある日、社内で弊社の役員が「あの件、どうなった?今日中に決められる?」と社員さんに確認していました。
未決のものがあると社内の計画が進みませんから、「それ、いつ決断するつもりなの!?」となったわけです。

確かに、決断が苦手な人、やたら遅い人っていますよね。

実は弊社の日本法人社長も、社長を任せてしばらくしたとき、「どうやって決断すればいいか?」と聞かれたことがありました。
僕にとっては決断することが日常だったので、「飲食店でメニューを選ぶときと同じです」と答えた記憶があります。
「何を食べるか?を決めるのも立派な決断。つまり、日々決断の連続。そういう日々の小さな決断を意識して訓練していくといいんじゃないですか。」ってことを伝えたわけです。

メニューといえば・・・

先日、知人たち何人かと飲食店に行ったのですが、その中に、「将来飲食店経営をしたい」という方がいたんです。
それで、その方が代表でオーダーを決めることになりました。
飲食のインプットも多いだろうから、気の利いたオーダーをしてくれるんじゃないか、って僕らも期待しますよね。
ところが、オーダーを決めるのにものすごく時間がかかるんですよ・・・
15分ほど待って、なんと、4品しか決めていないんですッ!
これにはもう、びっくり&呆れちゃって・・・
別に悪いことではありませんけども、飲食業で会社(店舗)を経営したいわけですよね?って。
自分の知る経営者たちは(慎重ではあっても)即断即決ですし、好奇心旺盛で行動力がすごいですから、強い違和感を感じてしまいました。

偉そうに言ってますけど、僕も「AかBかどちらか選ばないといけない」ってときには困りますよ。
例えば、僕はカルボナーラが大好きで、メニューの中にカルボナーラがあると、例えば「カレーが食べたいなぁ」って思っていたとしても、「カルボナーラを頼まないといけない!」って強迫観念が出てくるんです。
それを知っている友人や社員さんたちは、「あ、カルボナーラあるよ!」とわざわざ教えてくれるんですよね(汗)
そんなとき、「カルボナーラかカレーか、どうしよう?」ってなるわけですが、僕は、2つ頼むという方法で解決しています。
「2つ頼む」という決断をした、ってことですね。
まぁ、2つ頼んだ結果、1,500Kcalを一気に摂取することになるのですが・・・(汗)
自分の決断の結果、そのリスクも負うことになるよ、ってことかな。
 

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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