何年か前に「ブルシットジョブ」という言葉が流行しました。
直訳すると「インチキな仕事」、日本語でいうところの「虚業」というやつです。
みんながもやもや思っていることを言語化するニーズは高いので、いまでもそれなりに通じるようです。
もとは海外の人類学者が書いた、シリアスな分厚い本であったようですが、内容が具体的でテーマの身近さから大いにバズりました。
本の中では、世間にあまねく存在していて一見立派な仕事というものが、じつは虚無な存在であり、さらには自己増殖したり相互に役割を与えあうことで社会にガッチリ根付いているという状況を語ったものだったようです。
読者からは「自分もこんなムダなことをやらされている」という共感が世界中から集まったのだとか。
個人的にも、無意味な業務はなるべく少なく仕事人生を送っていきたい方ではあるのですが、同時に共感する人々には
「そんなことに声を上げるのはちょっとむなしいよなあ…」
などと一歩引いてしまったりもいたします。
一応、前向きにとらえるとしたら、そういった業務は環境の歪みや悪い点が凝縮してできあがったものだから、改善の材料としてきちんと向き合ってやっつけていくべきかな、と考えているのですが、あまり現実的な解は得られていないのが正直なところでございます。
しかし、近ごろ気づいたのですが、わたくしを含め、みんながいっている仕事のムダ、無意味さとは「業務」の部分、たとえばムダな会議のムダな資料作りみたいなことを指しているわけです。
もとの本では最終的にベーシックインカムまで提唱しているので、これって「業務」じゃなくて「仕事そのもの」をブルシットだと断じているのですよね。
「こんな資料を作ってなんの意味があるんだ……」
とブツブツ言っている人に対して、筆者は
「スーツ着てオフィスワークなんかしても虚業なんだからやめちまえ」
と言い放っているわけです。
大きい仕事が中くらいの仕事を作り、それがたくさんの小さい仕事を生むというやり方に頭から足の先まで浸かりきっている現代のわれわれがそれを受け入れられるのでしょうか。
少なくとも、共感の余地はあまりないような……

















