アメリカで働いている日本人のSNSを見ていたら、現地の労働条件の厳しさが語られていました。
いわく、日本のように被雇用者保護が強くないため、解雇が日常的に行われる。解雇が簡単に行われるということは、その権限がある管理職の力が絶大になる。コネが露骨にまかり通る。その結果、管理職に対する「おもねり」「忖度」が自然発生し、イエスマンたちがぐるりと取り囲む、という事例を紹介していました。
イエスマンというとなんかちょっと古い言葉のようですが、実態としてはアメリカのような場所でも生きているのですね。
で、日本の場合はどうかというと、昔のイメージのような権限者はかなり少なくなったのではないかと思います。たとえば経営者で、集団をワンマンで仕切り、強権的。反対意見を許さず、味方でないとみなされたが最後、攻撃されたり不利をこうむることが目に見えているので、言動は迎合的にならざるを得ない。
パワハラに敏感な世相ではあまり「はやり」とはいえないでしょう。
ではいなくなったのかというと、当然そんなことはありません。
個人的には意外な形に「変容」したのではないかと思います。
現代のイエスマンを引き連れた人。
それはたとえば、部下や目下の人にも物腰がやわらかく、声を荒げることなど想像できない。話もつねに協調的。議論の場であっても自分の意見に異論がないか、逆に問いかけたりする。コンプラの条件は表面上、非の打ちどころがない。それはまちがいない。
その実、発言ではなく行動だけをみたときには、違う顔が現れます。
ものごとを最終的に決める要素、それは「無意識の好悪」。
波長の合う者とそうでない者で人間関係の距離が比例している。意見の相違を求めているが、じつは結論に影響することはない。評価が自分との距離に準じてつけられる。扱いづらいな、と一度認定された人間はただ待遇と機会を最小化され、放置される。結果的に、好かれる以外に引き立てられる道筋がないことが誰にでもわかる。
こうして、かつて委縮することで同調していた周囲の者は、今度は好意を獲得することで同調を図ろうとします。
怒鳴る人も怖がる人も減少し、その代わりに優しいリーダーと忖度する仲間たちがイエスマン支配を今に引き継いでいる。かもしれないですね。
















