「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
10通目/大野からの返信
「そもそもそこに自己はない」
僕の名前は、生まれは、星座は、干支は、身長は、顔は、血液型は、大学は、性格は、趣味は、住まいは、仕事は、…これらをどんなに言葉を尽せたとしても、自己には一向に成りません。結論から言うと、そこに自己は無い。喩えるなら、与えられた楽器でしかない。一般的に多くが自己と捉えられている全ては僕からすると自己ではない。僕が言うには、与えられたそれらの楽器を使い何をどの様に奏でるか?そこにのみ自己が在る。だから、私は運動神経云々とか音痴云々…そもそも自己じゃない。与えられる楽器は選べない。でもどう奏でるか?は自由だ。事実、誰とは決して名指しできないが音痴な歌手も、車椅子のサッカーコーチも存在している。
前回9通目/安田「自己とは座標みたいなもの」
私にとって自己とは1965年に生まれた人間男子である私。同時にそれ以前から続いている私でもあります。もちろん生まれる前の記憶はありませんが、生まれてからの私が100%の私かというと、どうもそうとは思えないのです。イメージとしては座標みたいなもの。座標は点なので物理的には存在しないのですが、私の感覚としては確かに存在しています。それはこの宇宙の中に与えられた1つの位置であり意思でもあります。その正体が何なのかは私にも分かりません。ただ存在しているのか。何かの目的を持って存在しているのか。それすらも分からない。つまり私にとって自己とは安田佳生であると同時に、もっと深い意思と意味をもつものです。
ー安田佳生より
前々回8通目/大野「そもそも自己とは何でしょうか?」
仰られていること、よーく分かります。ただ、制約があることがそのまま、何かが「それが何であれ」生れながらにして可能性がゼロだという結論には僕の中では至りません。
また、自分の運命とか、自分の生かし方とかの自分って一体何でしょうか?
あるいは、自己実現なんて言いますけど、その自己が何か?をわかっていないとしたら、 自己実現のしようがありません。
そこで質問。一緒にこの機会に次のテーマを探索できたら楽しいなと。
そのテーマは、そもそも(安田さんにとって)自己とは何でしょうか?
ー大野より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
http://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/