190通目「たとえすぐ隣であったとしても」大野

人間交換日記

「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。


190通目/大野からの返信
「たとえすぐ隣であったとしても 」

なるほど。親指が脳みそになろうとすることは確かに滑稽でしかありません。まして僕が親指なら、たとえすぐ隣であったとしても、人差し指になりたい!なんて決して願いたくはありません。ですが疑問です。ひょっとしたら安田さんは、自分が親指なら親指であることが自覚できるってことを言っているのでしょうか?あるいは僕がまだ無自覚な親指だとして、「栄一、オマエは親指だ。間違っても胃袋になんかなれやしない!」と、誰が教えることが可能なのでしょうか。その人はどうして僕が親指だと判断できるのでしょう。運命。定まったもの。それらがあるとして、おそらくあるのでしょう。では、レイヤーとキャラクターとはどこが違うのでしょうか。

前回189通目/安田「使命と何が違うのか」

大野さんへ

長くなってしまうのは「愛とLOVRの違い」について。これはいずれまた。今回はレイヤーと使命の違いについて。よく言われることですが使命とは命の使い方ですよね。これは自分で決めることだと思います。「私の使命はこれだ」と決めればいい。レイヤーというのは持って生まれた定め(運命と呼ばれるもの)です。人間社会を超えたもっと大きな法則と言いましょうか。おそらく人間に生まれたことも定めなのでしょう。そして人間に生まれた目的(この人生における役割)もまた定まっているのではないか。そう思い至ったわけです。定めを超えた使命を持ったっていい。だけど親指が脳みそになろうとすることは果たしてポジティブなのでしょうか。

ー安田佳生より

 

前々回188通目/大野「目から鱗にまだなり難い解像度」

安田さんへ

それで結局レイヤーの正体は如何に?僕が安田さんからこの段階で聞こえてきたことは、頭ではなく身体で感じるもの。気持ち良さ。そして、宇宙には法則があり、LOVEが強くなる方に向かうということです。これを読んでも、なかなか、そうか!そうだったのか!と目から鱗にまだなり難い解像度だと思うので、もう少し、教えていただけないでしょうか。レイヤーとは何か?使命とは何が違うのでしょうか。LOVEとは何か?長くなってしまうとのことですが、どんなことをきっかけにそれを知ったのか。僕たちのパラダイムが変わりそうで、まだ変わり切らないので、ぜひ、お願い致します。

ー大野より

 

これまでのやり取り

交換日記をする二人



火曜日
安田佳生(やすだ よしお)

1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。

●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/

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