ちょっとマンガの話ですみません。
(すごく体が痛いのを)「俺は長男だから我慢できたけど、次男だったら我慢できなかった」
ってモノローグが「鬼滅の刃」の主人公にありまして。
舞台が大正時代なので、価値観のズレが時代劇的な意味でおもしろく、作中きっての人気語録のひとつです。
わたくしもこれ、大好きです。
これのなにがいいのかって、現代の道理にまったく合ってないところです。
たぶん、いま他人に対してこんな価値観を適用させたらその相手か、ほかの誰かに合法的に殴られることになるでしょう。その姿勢は社会の倫理に反しており、また、合法的な手段であれば反撃が許されるという道理があるからです。
道理とは、つまるところ「何々だから何々だ」という交換の構文です。原因と結果、労働と対価、資格と権利。これは公正だからこそ、交換できるものと同等の価値を求めることができます。等価であることが道理の本質だからです。
しかし、まったく道理でない冒頭のモノローグには力があります。
もうちょっと踏みこむと、現代でもそれは有効です。
子供がいるから自分は社会に存在価値があるとか、女に生まれてよかったとか、日本人であるのが誇らしいとか、口に出して主張されないだけで、いろいろあるでしょう。
これらはみな道理がありません。
道理とは等価交換であり、天秤の片方に載せたものの反対には同じ重さのものを載せられるという法則です。逆にいえば、決まっている以上のものを反対側に載せることができません。
ところが、自分で勝手に「長男だから」と引き受けたとき、その対面にはもっといろんなものを載せることができます。道理でない理屈は、他人に向ければ差別や暴力ですが、自分にだけ向けて引き受けるとき、それは等価以上の価値を載せることができるのです。
力があるとはそういうことです。
















