その41 新世界

海外に行ったとき、
生の異国カルチャーに触れることで
普段興味がない人でも「日本的な何か」について
自覚したり考えたりすることがある、といいます。
日ごろ暮らしている自分の国がどんな国なのか、
どんな文化的特徴がありどんな国民性であるのか、
他者と比較せざるをえない環境になったときに
はじめて理解できるというわけです。

それは国と国のような大きな単位でなくとも、
身近なものとは異質な存在との接触であれば、
どこかにオノレとは何かを見つめる機会があるといえるでしょう。

一方で日本のなかといえば、
どの都市も町も均一化が進んでいるといわれ
新しく作られる街並みはどこも似たような画になり
商業地域で目立つのは全国展開できるチェーンばかり、
言葉もメディアの影響で方言が薄まっているとか、
そんな言われ方がずっとされているように思います。

ですがその昔、「私鉄沿線」という歌謡曲がヒットしたときにはすでに
歌詞に出てくるワードが私鉄沿線の駅にあるあるな
最大公約数的な内容しかないにもかかわらず、
歌のモデルの駅についての議論がされていたそうです。
(50年前の曲です)

もしかしたら、
日本中どこもぱっと見同じようなのは
今にはじまったことでなく、
高度成長期なら同じような集合住宅ばかり、
戦国時代なら同じような城ばかり、
弥生時代なら同じような高床住居ばかりだったのではないでしょうか。

わたくし生活圏は東京郊外ですが
先日大阪に行く機会に
ベタな観光がしてみたくなり、
有名たこ焼き店に行列したりグリコの看板を撮ったり通天閣に登ったりしました。
そういった「大阪らしさ」も楽しみましたが
なにより移動の際に目にした
たくさんの人、ビル、道、車、地下鉄、
はじめて通った主要な街の中心がどこも東京都心となんら
「変わらない」
ことにこそ感銘を受けました。

オノレが見なれた東京としか思えないエレメントで構成されている街が
自分がほとんどなにも知らない土地にも構成されている。
しかも途方もない規模で。

センス・オブ・ワンダー、
オノレにとっての新世界というものは、
異国異世界だけでなく
知ってるつもりの近隣にも存在しえるもののようです。

まあ大阪の方には
そんなん知らん
と一蹴されそうですが。

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

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