その90 「それ、苦手なんで・・・」で伝えたいこと

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「それ、苦手なんで・・・」で伝えたいこと

弊社の新人デザイナーさんが、「写真選びが苦手」って先輩に相談していたんです。
先輩が「それは苦手なんじゃなくて、まだ経験が少ないからだよ」って伝えてました。

それを見てて、「苦手」ってそもそも何なんだ?って気になったんです。

人が「苦手」と感じるとき、それはどんなときなんでしょうか?
自分が思っていたようにいかないとか、他者と比較して劣っている気がするとか、そういうときに感じる感情じゃないでしょうかね。
つまり、「苦手」って、
・自分の理想とのギャップ
・他者と比較しての劣等感
をあるレベルで感じたときに芽生えるのかな、と。
随分と曖昧ですよね。
さらに、「自分の理想とのギャップ」「他者と比較しての劣等感」についても、人によって基準が随分と変わりそうですよね。
そうすると、「まぁ、この程度できたら自分的には十分♪」って理想がほどほどの人は、あんまり苦手って思わないかもしれません。
また、そもそも比べる相手がいなかったら、自分が劣っているなんて思わないでしょうね。

苦手かどうかを決めるのって、こうした基準だとすると、この基準が無かったり、めちゃくちゃ低かったらどうか?
例えば、自分に全く期待せず、誰とも比べなければ、「苦手」なんかなくなるのかもしれません。
少なくとも自分が何かを「苦手」と感じることは減りそうです。

でも、「苦手」を実感しなければ、改善もされないわけです。
もしかすると、今日の世界/社会の発展には、「苦手」が寄与しているのでは?!って思えてきます。
「苦手」には、「得意でないこと」という意味があるそうです。
得意でないことによって、「自分の理想とのギャップ」「他者と比較しての劣等感」を感じている人が多く、それによって成り立つビジネスもたくさんありそうですね。
そう考えると、習い事や塾などは、「自分の理想とのギャップ」「他者と比較しての劣等感」などを埋めるビジネスという側面もありそうです。
まぁ、「劣等感の塊のあなたにピッタリ♪」なんて看板がかかった店舗に行きたいとは思えませんけども・・・

そう言えば、僕らは皆、立つことも歩くこともままならない赤ちゃんだったわけです。
赤ちゃんの頃の僕らに「苦手」という意識があったかどうかわかりません。
でも、僕らは失敗を繰り返し、立ち上がり、歩くことができるようになりました。

フト思ったんですけど、もし、赤ちゃんだった頃、僕らが立ち上がるのを「苦手」と思っていたら、どうなっていたのでしょうか?
もしかすると立つことも歩くこともできていなかったのかもしれません。
というのも、大人になると、「苦手」って言葉を諦めの許可に使っていますからね(汗)
「苦手だからしょうがないでしょう?」って。

仕事であれば、分業やアウトソーシングで苦手を誰かに押し付けることができるかもしれません。
でも、新人デザイナーの「写真選びが苦手」という諦めの許可について、先輩からは「許可」がおりなかったわけです。
新人デザイナーは「苦手(=得意じゃない、嫌い)」認定をしているけど、それは先輩から見ると「下手(スキルがない)」だけで、「苦手」でないよ、と。
だから、「下手」から脱するために、繰り返し経験を積みましょう、って伝えたわけです。
良いアドバイスですよね。

ところで、繰り返しやるのが「苦手(=嫌い)」な僕はどうしたら良いんだろうか・・・

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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