その101 「メタバース」と聞いたおじさんたちの反応

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「メタバース」と聞いたおじさんたちの反応

VR、メタバースを体験したことありますか?
メタバースの話を聞いて、「それって、『セカンドライフ』と同じでしょう!?」とおじさんはしたり顔で言うわけです。
僕は「メタバース」って言葉を聞いたとき、「なにそれ、美味しいの?」って状態だったので、調べてみたんですよね。
そしたら、僕も例にもれなく、「これって『セカンドライフ』じゃん!?」おじさんになりましたw

この何かに例えるって行動、実はある場面でよくあるんです。

数年前、関西(大阪)の友人と海外視察に行ったときなんですが・・・
いくつかの都市を訪問し、企業視察を行っていたのですが、彼は「ここは大阪で言う梅田」「ここは大阪で言う吹田」のように、突然、異国の街を大阪に例えはじめたのです!(笑)
恐らくなんですが、初めて訪問する国、都市に戸惑いを覚えたのだと思います。
初めての体験で不安だったのかもしれませんが、大好きなホームグラウンドである大阪に置き換えることで、冷静さを取り戻したようでした。

人は得体のしれないものを前にしたとき、自分の経験や体験から、部分的にでも類似するモノ・コトを半ば無理やりにでも探して、平静を取り戻そうとする正常性バイアス(恒常性バイアス)のようなものが働くのかもしれません。
例えそれが本質的にずれていようと。
実際、僕にはどの部分が大阪の梅田や吹田と同じなのか全くわかりませんでしたが、彼は妙に納得した様子でした。

ところで、「例え」を持っていない、つまり何の経験や体験もしたことがない人はどう感じるのでしょうか?
もしかすると、初めての体験・経験として、すごく素直に感じられるのかも!?って思うんですよね。
だって、『セカンドライフ』なんて20年近く前に創られたバーチャル空間ですから、知らない人も多いと思うんです。(昨今のメタバースブームで、『セカンドライフ』も再始動していますが)
『セカンドライフ』を知らない人たちが、「メタバース」についてどう感じるか?は、『セカンドライフ』という体験・経験を持っている我々とは違うはずなんです。
『セカンドライフ』という例えを使って、不安を誤魔化したり、理解した風を装うことができないわけですから。

それなら、経験・体験をリセットしたとき、「我々は今をどう感じられるのか?」ってことも気になります。
そして、経験・体験のリセットボタンがあったとして、人は押すのでしょうか?

最近の研究で、脳の海馬に光を照射したとき、記憶が消去されることがわかったそうです。
海馬ということは、頭で覚える、記憶する「陳述的記憶」の消去に成功したということなのかもしれません。
一方、身体が動きを覚えている…のような「手続き記憶」は大脳基底核と小脳に記憶されると言われていますから、その辺はどうなんでしょうかね。
※記憶については過去記事『一度手にしたら、もう手放せないもの』でも少し触れました。

将来、経験・体験に関連する記憶のリセットが可能な世界がやってくるかもしれません。
「リセットボタンがあったとして…」の仮定ではなく、リセットボタンは現実にあって「押したら…」の仮定を話すことになるわけです。
あらゆることを素の状態で体験できるって、すごいことですよ。
様々な体験・経験を通して構築してきた基準が全て変わる可能性がありますよね。
面白いと感じる基準、美味しいと感じる基準、怖いと感じる基準など、全部が変わるってことは、それって別人に近いですよね!?

記憶と言えば・・・

忘れてしまいたい過去(黒歴史的な…)があるという人は結構いそうですよね。
でも、よく考えたら、自分の記憶を消したところで、誰かの記憶には残っているんですよね・・・

あ!
そんな場合は、メタバースの世界で別人として人生をやり直すという手段もありますね♪

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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