その115「人の熱はすぐ冷める」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「人の熱はすぐ冷める」

弊社のあるスタッフが一時期熱心に防災用品の備えについて啓蒙していたんです。
防災備蓄とかそういうやつですね。
水や食料だけでなく、ヘルメットやらハンマー、バール、懐中電灯など提案してくれたんです。
さらに災害ガイドブックみたいなのも手作りで作り始めて。

なるほど確かに大事なことですよね。
ただ、人数分揃えるとなると、それなりの金額になりそうですし、「いくらかかるか、見積もりをとって申請して欲しい」と伝えたんですよ。
そのスタッフ、ここからの反応が遅くて・・・数ヶ月が過ぎ、ついに期をまたいでしまいました(汗)
あの防災への情熱はどこにいってしまったのよw

提案して、言いたいことが言えて、そこで満足したのかもしれません。
これ、僕もそういうタイプなのですごく気持ちがわかります。
人って、熱が冷めるとこんなもんですよね。
にんげんだもの。

だから、大なり小なり事をなしたければ、「人の熱は冷めるもの」という前提で考えて、最初の勢いそのままに進めちゃった方が良いのかもしれませんね。
勢いで口説いちゃった方が、ダラダラ時間かけるよりも案外上手くいったりするのと同じで。
自分もそうですが、相手も冷めてきちゃいますからね。
「鉄は熱いうちに打て」って言いますし。

一方で、「石の上にも三年」って諺もありますよね。
これ、じっくり腰を据える印象でしたけど、前述のように考えると、ダラダラ三年やってても意味なくて、それなりの熱量、瞬発力で三年位続けないといけないってことだと思うんです。
・・・長いなぁ(苦笑)

また、三年間くらい精一杯やって、実にならないのなら、その後もダメだよ、ってことなのかもですね。
大体のことは、三年間でその後が決まってしまう、みたいな。

例えば、四則演算の基本は小学校の三年間で学びます。そこで躓くと算数は苦手になるし、数学なんて意味不明になっちゃう。
三年間で出来ることって、小学校の四則演算のような基本的なレベルで、それはビジネスの世界でも同じなのかもしれません。
ただ、その基本的なことすら、全力でやっても三年位は必要だよ、と。

でも、理不尽な下積み修行みたいなものを三年間する必要はないと思うんですよ。
会社近くの鰻屋さん、若い方が鉄串を店前で洗っていたんです。毎日ですよ。
地面のコンクリートに擦り付けてコゲをおとりたりして。(地面に擦り付けるのがすんごい気になりますよね)
寒い冬の日も素手で長い時間やっていたんです、来る日も来る日も・・・
下積みって言っても、これだけじゃないでしょうけど、この鉄串洗いを三年間繰り返してどうなるんでしょうかね?
理不尽に耐える力、思考停止力みたいなのは身につくかもしれませんが、鰻を焼く技術や美味しいタレの作り方は身につかないって思うんですよね。
石の上にも三年も座り続けて、石が温かくなったところで何もならないじゃん、と。
まずは、三年間が報われる石を探しさないとダメってことですよね。

石を会社に置き換えると、三年間が報われる石でないといけないし、三年間座ってもらえる石でないといけないってことでしょうか。
そして、じっと座っている期間なんて短いに越したこと無いんだから、それをいかに短くできるか、質を上げられるか、も本当に大事ですよね。
仮に鉄串を洗わせるにしても、雪がチラつく寒い日に、店の外で、素手で洗わせることに、それでしか得られないなにか特別な意味があるのか?その目的は何か?、僕は経営者の端くれとしてすごい気になります。

まぁ、僕みたいに飽き性な人間は、良い石を見つけた瞬間に満足して、興味を無くしてしまうんですけどね・・・
座りもしない、みたいな。

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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