その185「歴史上の人物になるためにすべきこと」

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「歴史上の人物になるためにすべきこと」

歴史小説や大河ドラマから影響を受けて、歴史上の人物に憧れた人ってたくさんいますよね。
中でも人気なのは坂本龍馬じゃないでしょうか?
経営者にも大人気ですよね。
僕も先輩経営者から勧められて、司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』をペラっとめくったことはあるのですが・・・登場人物の名前が覚えられず、彼らが暮らす当時の生活や慣習が気になって話が全く頭に入ってこず、挫折しました(苦笑)

坂本龍馬って、今で言う陽キャとして描かれていますよね。
男友達が多くて、女性にもめちゃくちゃモテる、人間的な魅力にあふれる人物。
陰キャでコミュ障の僕からしたら、眩しすぎて直視できないような人物ですよ。
もうね、嫌いです、羨ましすぎる。(羨ましい)

坂本龍馬をはじめ、歴史小説で描かれる人物については諸説ありますよね。
「あの功績はウソ」「そんなに強く/弱くなかった」「あの写真は別人」「歴史的事実から考えると無理がある」などなど。
歴史研究が進んで新しい事実が分かってくれば、今から60年も前に連載が始まった『竜馬がゆく』にも当然誤りはあるでしょう。
ここで面白い話があって、司馬遼太郎さんは、坂本龍馬を題材に小説で描くにあたって、実在した「龍馬」と司馬遼太郎さんの(思い描く)「竜馬」を、違う漢字を使うことで区別したそうですね。
つまり、タイトルが『龍馬がゆく』であったら、坂本龍馬の描かれ方も大きく異なっていたかもしれませんね。
そして、当然、僕らが抱く英雄的な坂本龍馬像も違ってくるでしょう。
とは言え、陰キャでコミュ障ではなさそうですけどね・・・

昔のことですし、そもそも赤の他人のことですから、何が事実か判断するのは難しいですよね。
歴史上の人物像について調べる際、本人や彼らに関わった人物が残した手記や手紙などを手がかりに、想像していくらしいです。
となると・・・SNSでめちゃくちゃ炎上して、ボロクソにコメントされている情報だけが残っていたら、最悪の人物として描かれてしまうんでしょうか?(汗)
印刷物、デジタルデータが無数にある現代社会だと、数百年後、現代の人を描くための手がかりは坂本龍馬の頃に比べて遥かにたくさんありますよね。
残っている情報が正確なだけに、「普段からどんな発信をしているか?」を改める必要がありそうですね。

歴史上の人物になるための準備、怠らないようにしましょう。

・・・まぁ、要らぬ心配でしょうか。
未来の誰が僕に興味を持つんだ、ってね(涙)

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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