経営者のための映画講座 第38作『泥の河』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

『泥の河』に学ぶ、友情の始まりと終わり。

昭和三十年。まだ戦後の傷跡が深く残る大阪の町。主人公である九歳の信雄は安治川の畔でうどん屋を営む夫婦の一人息子だ。ある日、信雄は小さな宿船が停泊していることに気付く。荷物を運ぶ船ではなく人が住む船だ。

そして、大雨が降る日、橋の上で信雄と喜一は出会う。互いに気持ちを探りながらの出会いの場面は子どもらしい遠慮と不躾が同居する見事な場面だが、ここで二人は川の中に大きな魚の影を見つける。喜一は「お化け鯉や!」と叫んだ後、「これは二人の秘密や」と約束させる。この約束のせいか、家に帰ってからも信雄は喜一のことが気になって仕方がない。

翌日、船へと出かける信雄。「遊びにきたんか!遊びにきたんやろ?!」と、嬉しそうに叫ぶ喜一。「いや、また、あのお化け鯉がいてへんかと思て…」とはにかむ信雄。二人は互いに恥ずかしそうに近づき、船の中へと入っていく。ここで2人ははっきりと友だちになる。そこからは、互いの家を行き来し、うどん屋では姉の銀子も交えて、楽しい時を過ごすことになる。

ただ、二人の間には、というよりも、陸に暮らす家族と船に暮らす家族には隔たりがある。しかも、喜一の母親は身体を売ることで生計を立てている。喜一が客引きをしているという噂もある。しかし、信雄の両親はそんな喜一と銀子を温かく迎えいれる。ただし、学校に行っていれば中学生くらいの銀子は、なんとなくこの関係が続かないことに気付いている様子だ。なるべく深入りしないように気をつけている。そして、そんな銀子の不安が的中する。

祭の夜、信雄と喜一の二人は小遣いをなくしてしまい、肩を落として船へと帰ってくる。そして、そこで信雄は喜一の母が客をとっているところを見てしまうのだ。走って帰る信雄。それを見送る喜一。途中、すれ違う銀子はすべてを悟っているかのような表情をしている。それを呆然と眺める私たち観客は、もう彼らの人生が二度と交わらないのだと確信している。

その翌日、船は静かに川を下り始める。気付いた信雄がそれを追う。「きっちゃん!」と叫びながら追う信雄。しかし、船との距離は開いていく。「きっちゃん!」と何度叫んでも宿船の戸は開かない。逆に、「きっちゃん!」と叫べば叫ぶほど二人の夏が思い出になっていくようだ。

ある日、突然友だちになった二人がある日突然袂を分かつことになる。その日が来ることはおそらくお互いに察してはいる。しかし、その日がいつくるのかはお互いにわかってはない。大人である信雄の母は「ほんまにええのか?このまま行ってしもて」と心配する。その声に押されるように、信雄は走り出す。しかし、信雄はもう知っているのだ。もう、二人で笑い合うことはないのだと。

創業時からずっと寄りそってきた社員の送別会で「また、いつか」なんて挨拶をしながら、もうそんな日はこないのだ、と予感していたことが私にもあった。この映画を見返しながらそんな日のことを思い出した。

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

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