第43回 タブー視されていることに、あえて挑戦する

この対談について

株式会社ワイキューブの創業・倒産・自己破産を経て「私、社長ではなくなりました」を著した安田佳生と、岐阜県美濃加茂エリアで老舗の葬祭会社を経営し、60歳で経営から退くことを決めている鈴木哲馬。「イケイケどんどん」から卒業した二人が語る、これからの心地よい生き方。

第43回 タブー視されていることに、あえて挑戦する

安田
数回に渡ってバイクレースの話をしてきましたが、レースにおいては「1位を獲ること」が絶対的な正義ですよね。ただ鈴木さんのやっている葬祭ビジネスは、業界的に言っても必ずしも「儲かることが正義」とは言えないですよね。

鈴木
そうですねぇ。もちろん利益のためにマーケティングにも注力しているわけですが、「マーケティングが上手な葬祭会社」というイメージがプラスかと言われると、ちょっと難しいところはありますよね。
安田
でも実際にレーサーを引退して『のうひ葬祭』に入社された時には、「自分はマーケティングでこの会社の役に立つんだ」と考えたわけですよね。世間からのイメージも大事な業界で、どうマーケティングしていこうと考えられていたんですか?

鈴木
前提として、当時はウチ、全然知名度がなかったんです。だからまず考えたのは、「どうやって会社のことを多くの人に知ってもらおうか」ということでした。
安田
え、そうだったんですか? てっきり昔から地域ナンバー1だったのかと思っていました。

鈴木
いやいや全然!(笑) 当時エリア内に7〜8社ほど葬儀会社があったと記憶していますが、その中でウチのシェアは6か7番目。下から数えるほうがずっと早かったですね。
安田
そうだったんですねぇ。じゃあまずは地域で1番を見据えて、前に立ちふさがる他社をどう抜いていこうかと考えたわけですね。レースでいうところの「本選型」思考で(笑)。

鈴木
そうですね、その時は「本選型」で頑張りました(笑)。
安田
で、まずは「知名度を得ること」を主眼に置いたと。でも実際、どれくらい知られていなかったんですか?

鈴木
そもそもの話、葬儀屋ってごくごく地元の人にしか知られていないものなんです。ネットが発達した現代ならまだしも、当時は山一つ越えた先の葬儀屋なんて誰も知らなかった。
安田
ああ、確かにそうだったかもしれません。つまり商圏はすごく狭いエリアだったと。

鈴木
そういうことです。ウチの会社は川辺町という人口1万人ほどの町で始めた会社なんですが、最初はもう本当に地道に、コツコツ口コミで広げていったようです。
安田
知り合いのツテとか、葬儀をされた方の紹介とか。

鈴木
そうですそうです。一番の宣伝になるのは、もちろんご葬儀を担当させていただくことではあるんですが、こればっかりは依頼されない限りできませんから(笑)。
安田
そりゃそうですよね。だから鈴木さんは別の方法で知名度アップを図ることにした。

鈴木

仰るとおりです。業界ではある種タブー視されていた「チラシ」を使うことにしたんです。

安田
ほう、なるほど! ……でもなんでチラシがタブーなんですか?

鈴木
だって、「葬式しませんか?」なんてチラシを投函されたらどう思います? 「縁起悪いことをするな!」って怒られちゃいますよ(笑)。
安田
ああ、確かにそうですね(笑)。じゃあ鈴木さんはどうやってチラシを配っていったんですか?

鈴木
実は、川辺町である程度実績ができたので、隣の人口約5万人の美濃加茂市に支店を出すことにしたんですよ。そのOPENのタイミングでチラシを出したんです。
安田
なるほど! 「支店ができましたよ」という、言わば「お知らせチラシ」ですか。確かにそれなら抵抗感は少ないかもしれない。素晴らしいアイディアですね!

鈴木
ありがとうございます(笑)。で、そのチラシの裏に「葬儀の知識」というコラムのようなものも書いて載せたんです。
安田
ほう。それはどういう内容だったんですか?

鈴木
ご葬儀の流れを全16回シリーズで説明したんです。で、それを第1回から順番に、2ヶ月に1度のペースで配布していった。
安田
それって今でいうところのメールマガジンじゃないですか! すごいですね。

鈴木
確かに(笑)。30年くらい前のことなので、インターネットも当然ない。だからお葬式に関する知識を知りたい人は、そのチラシを大事に取っておいてくれるんじゃないかという狙いでした。
安田
しかも「全16回のうちの1回目」なんて書かれていたら、次に来るのが待ち遠しくなりますし、絶対に全部そろえて持っておきたくなりますよ(笑)。

鈴木
それともう一つ、実はチラシに葬儀の金額を書いておいた。これもなかなか思い切った作戦でした。
安田
ん? どうしてそれが思い切った作戦なんですか?

鈴木
いや、今でこそそれは当たり前なんですが、当時は葬式の金額はおおっぴらにしない風潮だったんですよ。
安田
ああ、なるほど。そういうことなんですね。でも周りの葬儀屋が金額を明かさない中、鈴木さんのところだけオープンにしたらまずくないですか? ライバル会社が「あそこよりもっと安くやりますよ」なんて営業を始めちゃうような。

鈴木
まさにそういう理由で親父や弟からも大反対されましたね(笑)。まぁ、結局ゴリ押しして出してしまいましたけど。
安田
そうなんですか(笑)。でも、そもそも鈴木さんはどうして価格を出そうと思ったんですか?

鈴木
いや、シンプルに「みんな知らないんだから、教えてあげなきゃアカンでしょ」という気持ちでした(笑)。あとは、そこで他社と差別化したかったのもあります。大きなインパクトを与えたかったというか。
安田
今まで誰もやっていなかったことを、のうひ葬祭だけはやっているぞ、と?

鈴木
そうそう。ちなみに「ウチはこの金額でやりますよ」と明示しただけで、別に割引価格にしたわけでもない。つまり会社としては何も損をしていないんです。
安田
ははぁ、なるほど。それって、回転寿司が流行った理由と似ていますね。回転寿司って寿司が回っているから流行ったのではなくて、今まで「時価」が当たり前だった寿司の値段が明快に書いてあるから流行ったんですって。

鈴木
あ〜確かに同じだ(笑)。まあ昔は寿司屋にしろ葬儀屋にしろ、消費者側からは価格がよくわからない、というのはわりと当たり前のことでしたもんね。
安田
そうですね。誰もやっていなかったタブーに切り込んだからこそ、鈴木さんのマーケティングは成功したというわけですね。

 


対談している二人

鈴木 哲馬(すずき てつま)
株式会社濃飛葬祭 代表取締役

株式会社濃飛葬祭(本社:岐阜県美濃加茂市)代表取締役。昭和58年創業。現在は7つの自社式場を運営。

安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家

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1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。

 

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