泉一也の『日本人の取扱説明書』第62回「一揆の国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第62回「一揆の国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

一揆というと「百姓一揆」を想像するだろう。高い年貢に苦しむ農民たちが一致団結し、代官屋敷を襲撃。さながらの市民革命である。本来、一揆というのは社会的に同じ属性(階層)にいる者たちが「合議の元、氣を合わせて一体となること」である。一揆とはそうした盟約関係であり、その中の一つに百姓が一揆を組んでおり、さらにその一部で代官屋敷を襲撃したに過ぎない。

「一揆=百姓一揆(暴動)」というイメージが我々に刷り込まれている理由がある。それは民主主義こそ素晴らしい社会システムという刷り込みである。民主主義とは、権力を牛耳る支配者から搾取され苦しめられている民衆が立ち上がり主権を勝ち取ったという「正義のドラマ」から生まれたという刷り込み。

現代の民主主義が素晴らしいと思わせるため、封建時代は支配者の搾取があり、そこから新しくいい社会に変わったという正当化の物語を植え付けた。士農工商、四民平等という言葉が今の教科書から消えたが、その刷り込みがバレたからだ。

その民主化の流れの中で「富の自由」を中心においた経済システムが資本主義であり、「富の平等」を中心においた経済システムが共産主義である。資本主義も共産主義も根っこは一緒なので、北朝鮮も民主主義人民共和国と謳っている。

ところで民主化の象徴、フランス革命のはじまりとされる「バスティーユ牢獄の襲撃事件」を覚えているだろうか。牢に囚われている政治犯を解放せよとの暴動であったわけだが、蓋をあけるとその牢にいたのは7人の老人で、それも4人の文書偽造犯と2人の狂人、それに1人の素行の悪い伯爵であった。つまり、勘違いから市民革命は起こっているのだ。民主化を叫ぶ人たちに被害妄想的な勘違いちゃんが散見されるのは、バスティーユ牢獄の襲撃と繋がっている。

話を戻すと、一揆の流れは近現代に入って、青年会議所、商工会、経済同友会、労働組合、婦人会といったものに形を変えて存在を続けている。が、どうであろう。ここに挙げた組織は「停滞」いや「衰退」していないだろうか。社会的な存在感は小さくなり、その会の内部の一致団結度も弱まっている。一揆の力が弱くなっているわけだが、そうなるとどうなるか想像できるだろう。

既得権を持った人たちは、「一揆」という存在があったからこそ、常に帯をしっかりしめて「一揆の声」に耳を傾けて向き合った。その一揆がなくなるとぬるま湯につかって、既得権の世界に安住を始める。「NHKをぶっ壊す!」という政治団体があるが、彼らは現代の百姓一揆だと言っている。NHKは既得権となって、民衆から受信料を取り、そのぬるま湯に安住しているという主張である。NHKでNHKをぶっ壊すと政見放送で連呼していたが、まさに代官屋敷襲撃さながらであった。

では、一揆が弱まった社会ではどうすればいいのだろう。ネットを炎上させればいいのだろうか。それは違う。すでにある青年会議所、商工会、経済同友会、労働組合、婦人会といった一揆の会をリフォームすればいい。すでに古民家化しており、カビ臭い。であれば、優秀なリフォーム業者に入ってもらい、古民家再生をすればいい。現代人が好む会に変えていけばいいのだ。私の場活同志であるホライズンワークス社は、ビジネスゲームを使って「全国商工会連合会」をリフォーム中である。

ちなみに匿名の会では一揆にならない。なぜなら、一揆は同じ属性である繋がりであることと、全員が矢面にたつ覚悟が一つとなって大きな力となるからである。署名にニックネームを書かないのと同じことである。

そしてリフォームではなく新築を建てるのがもう一つの道である。そろそろ場活一揆を建てようか。「既得権をぶっ壊す!(にこっ)」

 

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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