自分の深さ・人間の深さ

私はいたって普通の人間だ。
特別なものは何もない。
何をやりたいのか、
何をやるべきなのかも、よく分からない。

このように考えている人が世の中にはたくさんいる。
そしてこの状況に驚かない人、
つまりそれが当たり前だと思っている人が
大多数なのである。

特別な才能を持つ人間など一握りに過ぎない。
それ以外はごく普通の人間なのだから、
多くの人がこのように考えるのは当たり前だ。
と考えている。

だがそれは、あまりにも
人間を軽んじ過ぎというものである。
人間として生まれ、人間として生きていること。
この希少性を人間自身が分かっていない。

その最大の原因は比較教育である。
同世代の人間と学校に放り込まれ、
学力や体力を比較されながら
自分のポジションを認識させる。

あなたは他の子よりもここが優れている。
ここが劣っている。それ以外は普通。
普通の子はこうする。
こう言う。こう感じる。

あなたのここは協調性がない。
もっと周りに合わせなさい。
こうやって育てていけば、
効率よく普通の人間が量産される。

だが勿論それは思い込みにすぎない。
普通の人間であるという思い込みだ。
「私は普通である」と感じる時、
人は自分を他人と比較する習慣が身についている。

共通項を探していけば、
人間同士が似通って見えるのは当然である。
だが冷静に考えてみて欲しい。
まったく同じ人間などこの世に存在しない。

すべての人はオリジナルであり特別なのである。
自分は普通だと思い込んでいる人。
それは他人しか見ず、
自分を無視して生きている人だ。

自分を見る。自分だけを見る。
その時すべての人は自分が特別であることに気づく。
この世に私という人間しかいない。
もしそうなったら、あなたは何をするだろう。

比較する他人もいなければ、対話する他人もいない。
そうなったら自分と対話するしかない。
君は何者なんだね、と自分に問う。
何のために生まれて、何のために生きているのだね。
生きていて楽しいのかね。誰かの役に立つのかね。

自分に対して発した質問。
それに自分で答える。
なるほど君はそんなことを考えているのかね。
君は面白いね。君はじつに下らないね。

そんな対話を繰り返していくうちに、
人は自分の奥深さを知る。
自分の存在理由にたどり着く。
もはやそこには普通の人間などいない。

自分は普通だと考えている人は
自分の奥深さを知らない人だ。
人間は想像しているよりもはるかに深い。

 


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