クリエイティブの発動

人は年齢と共に成長する。
知識が増え、スキルが付き、経験値も上がっていく。
階段を昇り降りし始めた幼児は
見ていてとても危なっかしい。
だが体力の衰え始めた中年男でも、
階段ぐらいは苦もなく足早に降りていく。

読み書き算盤は誰でも出来るし、
知らない街に行ってもちゃんと帰って来るし、
車に轢かれないように気をつけて歩くことも出来る。
バカにしてるのかと言われそうだが、
これは結構すごいことなのである。

歯磨きをしたり、洗濯をしたり、
パジャマを畳んだり、遅刻せずに通勤したり。
こんなことが苦もなく出来るのは大人の人間だけである。
3歳児や犬猫がこれをやれば、
世界的な大ニュースになるだろう。
だが大人がこれをやっても褒めてくれる人は誰もいない。

出来て当たり前。
人間の大人はそのレベルが非常に高い。
脳みそがとても優れているからだ。
何度かやって学習すれば、
大抵のことは出来るようになる。

仕事ができないと言われる人でも、
子供やチンパンジーより遥かに役に立つ。
猫の手も借りたいなどというが、
猫なんぞ人間の足元にも及ばないのだ。
それは脳みその学習能力。
言い換えるなら習慣化の力である。

初めて洗濯機や掃除機を見た人、初めて電車に乗る人、
初めてネクタイをする人は、みんな戸惑うはずだ。
だがあっという間に慣れる。
そして苦もなく道具を使いこなせるようになる。
これが人間の凄さ。

だがその凄さは時として
もっと大きな能力を奪ってしまう。
それは本来誰もが持っているはずの力。
クリエイティブ力だ。

もっと上手くやるにはどうしたらいいのか。
どこをどう変えれば劇的な成果が出るのか。
こういう思考を繰り返しながら人間は進化して来た。
だがあまりにも便利になりすぎたので、
それを使いこなすだけで精一杯になってしまった。

もっと上手く歯磨きしよう。
もっと上手く電車に乗ろう。
そんなことを考えながら生きている人はいない。
習慣化で手に入る便利さが、
クリエイティブの必要性を凌駕してしまったのだ。

何も生み出すことなく、自分で工夫することもなく、
ただ慣れていくだけで恐ろしく高度な生活ができる。
それが現代人の実状なのだ。

自分にはクリエイティブな発想がない。
そう思っている人は多い。
だがないのではなく能力を閉ざしているだけ。
普通に生きていれば閉じてしまうこの能力を
どうやって発動させるか。
それが現代人のテーマなのである。

 

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2件のコメントがあります

  1. 習慣化と非習慣化、非クリエイティブとクリエイティブの対立概念の組み合わせは、例えば、日常と非日常、既知と非既知、体験と未体験等、○○と●●という他にも類似の対立概念の組み合わせが「あるな~」と、並びに「なるほど~」と感じたコラム、ありがとうございます。

  2. もう十何年も歯を磨くたびに、どうしたらもっと磨けるか、考えながら磨いているので、歯磨きが楽に出来ません。しんどいです。

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