【コラムvol.27】
人間は言葉を操る動物、
ではなく、操られる動物。
自分自身でさえ。

「ハッテンボールを、投げる。」vol.27  執筆/伊藤英紀


人間は、言葉の動物です。
言葉を操る動物、という意味ではなく、
言葉によって操られる動物、なのだと思う。
自分の言葉によって、自分自身さえも。

人は、自分がクチにする言葉、
自分が耳にして脳に残った言葉によって、
自分自身が規定されてしまう。

僕も、自分自身の中にある言葉に
縛りつけられている、と感じることがある。
一か所に釘で固定されているイメージです。

拘束され、硬直化している自分を自覚する。
そんなとき、ゲーテの箴言の深さを知ります。

ゲーテは言っています。
「重要なことは、知らないもの、
知らない人に対して、
どこまでも心を開いて触れてみることだ。」

簡素でさりげないけど、とても深い箴言だと思う。
“心を開いて触れてみること”は、じつはとても負荷になる。

なぜなら、いま自分が知っていると思っていることや、
自分はけっこうできるヤツだという自己認識を、
壊すことにもなりかねないからだ。

自分は知っている、自分の考えは間違っていない、
この理解と言い方がベストだと思い込んでいる方が、
人はラクチンです。

つまり人は自ら進んで現状に閉じこもり、
固定化された観点や言葉や文脈に、
自ら進んで支配され、
行動や考え方の柔軟性や流動性を失う。
変化しているようでいて、じつは機軸はおなじ。
幾度も似たような反復を
ぐるぐるとループするのである。

こうなると、ラクかもしれないが、
いずれ自分自身が干上がります。
水分を失った土壌のように、
堅いけどもろくなるし、当然、草や花は育たない。

中小企業は、出会う人、
つまり出会う観点、出会う言葉が限定されます。
会社で流通する語彙や文脈を
よくよく点検してみると、この10年間、
たいして変わっていない、なんてことも多い。

個社に限らず、
ビジネスで飛び交う用語自体も、
言語文化全体と比べれば、
きわめて貧弱で限定的です。

会社は、言語的に干上がる宿命にあり、
経営者も含めて、その構成員は、
非常に狭い言葉に操られ、
釘打たれ、柔軟性を失ってしまう。

つまり、発想やアクションも、
ずっとかわりばえがしなくなる。
組織も沈滞ムードで、活力が鈍くなる。
会社の活動の多くは、
言葉に依拠しているのだから、
これは避けられない必然なのだと思う。

まあ、人間だから必然、
と言った方が話が早いのかもしれません。
長くつきあった恋人とか夫婦とか、
くだらない小さいことですれちがったり、
険悪になったりしますね。
親子が、冷たい関係や距離感になったり。

あれも、言葉の限定化、硬直化が
大きな一因であることが多い。
お互いに、自分の固定観念に釘打たれて、
柱にがんじがらめに手足を縛りつけられて、
同じ見方で同じことしか言わない。
また言ってるよ、またやってるよ、
と同じパターンに、うんざりする。

1件のコメントがあります

感想・著者への質問はこちらから