人間交換日記 11通目「なぜ楽器は異なるのか」安田

人間交換日記

「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。


11通目/安田からの返信
「なぜ楽器は異なるのか」

自分とは単なる入れ物(楽器)に過ぎない。すべては扱う自己によって決まる。その考えに私も賛同します。同じ楽器でも別の人が奏でれば全く違う音が出ますから。では私からも質問です。その与えられた器(楽器)はなぜこれほどまでに違うのでしょうか。ゴージャスなグランドピアノで生まれた人もいれば、カスタネットで生まれた人もいる。いくら使い手次第とはいえ、カスタネットでピアノの音を出すことは不可能です。なぜこんなにも違うのか。それはやはり役割が違うからではないでしょうか。つまり(ある程度の幅こそあれ)役割は決まっているということ。車椅子のコーチには車椅子という縛りがあり、それゆえに自分の役割が明確になる。

前回10通目/大野「そもそもそこに自己は無い」

安田さんへ
僕の名前は、生まれは、星座は、干支は、身長は、顔は、血液型は、大学は、性格は、趣味は、住まいは、仕事は、…これらをどんなに言葉を尽せたとしても、自己には一向に成りません。結論から言うと、そこに自己は無い。喩えるなら、与えられた楽器でしかない。一般的に多くが自己と捉えられている全ては僕からすると自己ではない。僕が言うには、与えられたそれらの楽器を使い何をどの様に奏でるか?そこにのみ自己が在る。だから、私は運動神経云々とか音痴云々…そもそも自己じゃない。与えられる楽器は選べない。でもどう奏でるか?は自由だ。事実、誰とは決して名指しできないが音痴な歌手も、車椅子のサッカーコーチも存在している。

ー大野より

 

9通目/安田「自己とは座標みたいなもの」

大野さんへ
私にとって自己とは1965年に生まれた人間男子である私。同時にそれ以前から続いている私でもあります。もちろん生まれる前の記憶はありませんが、生まれてからの私が100%の私かというと、どうもそうとは思えないのです。イメージとしては座標みたいなもの。座標は点なので物理的には存在しないのですが、私の感覚としては確かに存在しています。それはこの宇宙の中に与えられた1つの位置であり意思でもあります。その正体が何なのかは私にも分かりません。ただ存在しているのか。何かの目的を持って存在しているのか。それすらも分からない。つまり私にとって自己とは安田佳生であると同時に、もっと深い意思と意味をもつものです。

ー安田佳生より

 

これまでのやり取り

交換日記をする二人



火曜日
安田佳生(やすだ よしお)

1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。

●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
http://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/

ブルー・オーシャン戦略は、未知の新大陸を探しだす作業ではありません。
新たなブルー・オーシャンは今いるレッド・オーシャンの中に無数に存在するのです。

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