人間交換日記 102通目「今、その認識をシフトできるってこと」大野

人間交換日記

「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。


102通目/大野からの返信
「今、その認識をシフトできるってこと」

それはどちらでもなく(笑)ちょっとした癖という嗜好の話かと。
そして、御察しの通りゴールは永遠に訪れません。僕がこの世を去った後も、きっと僕の息子が引き継いで日記を交換してくれるはずですし。ちなみに、我慢しない方がいいかと問われれば、その時は我慢だったけれど、振り返ってみると、あの時があったから今の自分が在るんだなぁって思えることなんて沢山あります。つまり、我慢してたつもりが、その実は耐えていた。ってことは、数年経過して認識が変わるのを待つのではなく、本当は今、その認識をシフトできるってことかと。ここで僕たちの想像力が問われている。昨今の胸を痛める事件の多くは想像力の欠如が引き金とも言える。

前回101通目/安田「ああややこしい」

大野さんへ

ついに100回を超えましたね。このやりとりに果たしてゴールはあるのでしょうか。我慢と忍耐は異なる。そうですね。まず言葉の響きが違います。我慢はネガティブな響きだけど忍耐はポジティブな響き。我慢はイヤイヤだけど忍耐は自分の意志。我慢は先に繋がらないけど忍耐は未来につながる。そんなイメージです。では我慢はしないほうがいいのか。忍耐はすればするほどいいのか。これもまた難しい問題ですよね。たとえば私にとって歯磨きは我慢ですがジムに行くのは忍耐という感じ。でも歯磨きだって未来の健康には繋がってるし。ああややこしい。ちなみにショートケーキのイチゴを最後まで残すのは我慢でしょうか。それとも忍耐でしょうか。

ー安田佳生より

 

前々回100通目/大野「我慢と忍耐は異なる」

安田さんへ

僕が思うに、そこに意図があるかないか、です。あるいは機会と捉えるか、ダメージと捉えるか。そして、その意図が果たして望む未来、武道で言えば心技体を一体とした己克になるのでしょうか、にリンクするのか?です。望む未来に相応しい過程なのか?です。例えば、我慢と忍耐は異なります。これは僕の観点ですが、我慢は大切なものを疎かにしている状態と定義しています。忍耐は大切なことの為に耐えている状態です。我慢の特徴としては、意図の有無にかかわらず、機会ではなく主にトレードオフとしてとらまえるのに対して、忍耐という意図は望む未来へとリンクさせる機会と観ます。そもそも機会として向きあう。その状況や制約を生かすべく。

ー大野より

 

これまでのやり取り

交換日記をする二人



火曜日
安田佳生(やすだ よしお)

1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。

●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/

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