泉一也の『日本人の取扱説明書』第124回「呪の国」
著者:泉一也
日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。
「こ・の・う・ら・み・は・ら・さ・で・お・く・べ・き・か」
(この恨み晴らさで置くべきか)は、魔太郎の決め台詞。呪いの言葉である。これは藤子不二雄A作の「魔太郎が来る!!」であるが、れっきとした子供向けの漫画である。
魔太郎は人間の根源にある「恨み」のエネルギーを解放させる。もちろんエグい結末になるのだが、なぜだろう、すっきり感がある。そんな恨みをテーマにした子供向けの漫画があっていいのだろうか。PTAの検閲をくぐり抜けたのか、子供達に愛読されていた。
恨みの象徴は古事記でいう「イザナミ」が表している。死して黄泉の国にいった妻のイザナミを夫のイザナギが連れ戻そうとするが、そこでイザナギが約束を破り、イザナミに呪われる。その呪いを剣と桃で解いて、難を逃れる。最後は黄泉の国との境目を大岩で塞ぐのだが、そこでイザナミは「この世の人間を1日で千人殺してやる」と呪いの言葉をイザナギにぶつけるのだ。
日本では「恨んで呪う」という物語がそこかしこにある。稲川淳二に聞けば山のように出てくるだろう。日本人には「恨まれる怖さと呪われる苦しさから解放されたい」といった根源的なニーズがある。なぜなら自分が恨み呪う存在であるから、人から恨まれているのでは、呪われるのではと不安が膨らむのだ。
イザナミのように愛し合っていても、恨みは人を呪怨なる存在に変えてしまう。自分にも呪怨の一面があることを知っているから、人から呪縛される可能性があることもわかる。さらに、死んだ人からも呪われるのではないかという恐れから「タタリ」が生まれた。
タタリといえば、藤原道真。道真の呪いを鎮めようとしたのが北野天満宮。失意の元に死んだ道真の怨霊を鎮めようと、学問の神として祀ったのだ。当の本心は恨みなどなかったかもしれないが・・日本には怨霊信仰があり、時折こうした怨霊を鎮めるため神社や石碑を建てた。
恨みから身を守り、呪いを解く。そのためにお札があり、お守りがあり、神社を建て、呪文があった。神道では「祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え」といった祝詞があり、仏教には経がある。
そのお経でも最強なのが、般若心経だろう。このお経の締めは「ギャーテイ、ギャーテイ、ハラギヤーテイ、ハラソーギャーテイ、ボジソアカ」とサンスクリット語そのままの言葉がある。ラミパス、ラミパス、ルルルルルーと比べたらゴツい呪文である。まさに呪いを解くのにもってこいの力強さがある。日本仏教では「真言」とよび、お経(呪文)で怨霊を払うようになった。日本人は言葉のもつパワーを知っていたのだ。
真言宗の開祖空海が「弘法も筆の誤り」と言われるぐらい、書の神様となったのもわかるだろう。本来、日本は恨んで呪うパワーの強い国であるので、その分、恨みから身を守り、呪いを解きたいというニーズも大である。ということは、北野天満宮や真言宗のように「呪縛を解く」をサービスに入れれば儲かるのではないだろうか。
恨みを買うのではなく、恨みを解消することで売れるようにするのだ。
そ・の・う・ら・み・は・ら・せ・て・み・せ・ま・しょ・う・や!
泉 一也
(株)場活堂 代表取締役。
1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。
「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。