「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
198通目/大野からの返信
「あなたにはその能力がないという無自覚の見立て 」
赤ちゃんは大人が頑張れなんて言わなくったって、何度も歩こうとします。勿論、無理するななんて言っても効き目がありません。仮にちょっとぶつけて血が出ても、生命は血を止めようと働き出す。これが本然的な人間の生命活動、即ち生活です。つまり、生きようとする。成し遂げようとする。だから、あえて問いたい。本当に誰の声なのか分からないのでしょうか?また、できないのは自分の問題の意味する所は、誰もが乗り越える力を持っているという場所に立っているのか?の違いではないのか。あなたにはその能力がないという無自覚の見立て、見下しをどこか大人がしているから、バランスを取る事が必要なんて考えが出てくるのではないでしょうか。
前回197通目/安田「ほんとその通り」
自分の心の声に従えばいい。ほんとその通りなんですよ。だけどそれができないから、みんな苦労してるわけです。ではなぜ自分の声が聞こえないのか。それは聞こえなくなるような環境で育っているからです。これはもう本人の責任ではない。心の声が「がんばれ」と言うなら頑張ればいいし、「がんばらなくていい」と言うなら頑張らなくてもいい。だけどそれができない。自分の声だか誰の声だか分からない声で「もっとがんばれ」と言われているように感じるから。やればできる。努力は報われる。できないのは自分の問題である。この価値観があまりにも強い。だからバランスを取るために「そんなことないよ」と思えるストーリーが必要なのです。
ー安田佳生より
前々回196通目/大野「この前提の違いはデカイ。」
質感が違うなぁ。根本的にポジとかネガで括られていますが、僕はそこに過剰な思い入れが一切ない。特に念押ししたいのは、誰も他人の可能性を正しくは判断できないという部分だけなのです。だから、無理するなって他人に言葉をかける前提には、その人よりその人の限界を分かっているという驕りを感じてしまうわけで。仮に同じ押しつけでも例えば、頑張れには限界を分かっているという前提はない。この前提の違いはデカイ。あとは、自分の内部対話においてどの声に従いたいのか?だけ。ただ自分の可能性すら正しく判断できていないという本質からすれば、弱い部分を認める事も含めてですが、考え方の再検討はポジであれネガであれし続ければ良い。
ー大野より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/