その79「『自分らしく生きる』という綺麗事の裏側」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「自分らしく生きる」という綺麗事の裏側

先日、弊社の朝礼で「声が小さい人は、もっと大きな声で話した方が良いよ」という話が出ました。
なるほど、確かに、以前からそう指摘されているスタッフは何人かいます。
まぁ、本人たちもいい大人になって、「声が小さい」なんて指摘されるとは思わなかったでしょうね。
もしかすると、心の中で「うっせぇわ!」とすごい大きな声出してるかもしれませんw

例えば、あなたが誰かと会話しているとします。
あなたの声が小さすぎて聞き取りづらい場合、相手があなたに合わせて何らか努力してくれていることってありますよね?
例えば、「ん、何?もう一回言って」と相手が耳を近づけてくれるとか。
つまり、周囲の努力があって、声が小さい人はそのまま小さな声のままでも不自由なく生活できるのです。
そう、「自分らしく」いられるというわけです!

そう考えると、ですよ・・・

この「自分らしく」というのは、誰かの自分らしさを犠牲にした上で成り立っているのではないか!?

・・・なんて思ったりするわけです。
※僕は大袈裟に考えるタイプです。

でも、こんな風に相手の立場を意識して考えると、「僕は歯列矯正のマウスピースをしていて話しづらいから、滑舌が悪いのはしょうがないじゃないか」って、仮に事実そういうのがあっても、そうそう安易には開き直れませんよね。
だって、僕と会話するために、相手は「自分らしさ」の一部を諦めている可能性があるわけですから。
周囲の方が、僕の滑舌問題を許容してくれているから、僕は歯列矯正を続けられるわけです。
社会の優しさを感じますねぇ。感謝でございます。
一方で、周囲が許容できる範囲を超えると、「自分らしく」生きるは叶わないということです。
なんだか急に、「自分らしく生きよう」という言葉が、偽善的で自分勝手なものに思えてきました。

ところが、ここに対価が発生すると、様々な状況で「自分らしく」を通すことができるようになります。
つまり、「いくらか払うから、「自分らしく」を容認して欲しい、自分に合わせてほしい」というのが成立するということ。
実は、こうして成り立っているビジネスはたくさんあります。
あなたが求める「自分らしさ」によって、相手の合わせ幅(我慢、許容の範囲)は変わるでしょう。
それに応じて金額の大小は変わってきますが、周囲の協力のもとで、ある程度の「自分らしく」を通せるようになります。

例えば、プライベートジェットやフルオーダーメイドのサービスなどは、「自分らしく」が叶う分かりやすいサービスですよね。
プライベートジェットを「自分らしく」カスタマイズすることもできますしね。何度か人生をおくれる位の額になります。
実は、ホテルのビュッフェなんかも簡易的かつ比較的安価に「自分らしく」を通せるサービスと言えます。

ちょっと変わった「自分らしく」で言えば・・・
ウェイトトレーニング中、声を出したい人って案外いるんです。本格的にウェイトトレーニングをやっている人なんかに、こういう声出し需要があります。
また、ボディビルダーなんかですと、上半身ハダカでトレーニングしたいという脱ぎたい需要があります。
でも、こういう「自分らしく」を通したい人たちは、普通のジムでは「他のお客様の御迷惑になりますので…」と注意されちゃいますよね。
ところが、世の中にはこういう「自分らしく」を通せる、「声出しOK」「上半身ハダカOK」のジムがあったりします。

こんな風に、どこかの誰かの「自分らしく」を叶えてあげるために、サービス提供側が合わせてあげるというビジネスモデルはすごくたくさん存在します。
それが、結果としてサービス、会社のブランド(誰かにとっての特別な存在)になっていくのかもしれません。

・・・

・・・

( ゚д゚)ハッ!

そうかッ!

声が小さい自分を通せる会社になればいいんだ!

僕、天才だわ。←多分、無能…

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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