その205「懐メロ的なモノでもうひと稼ぎする」

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「懐メロ的なモノでもうひと稼ぎする」

僕が子供の頃、両親が「懐メロ」のテレビ番組を観ていました。
テレビ全盛の時代は歌番組も多かったですね。
両親世代の「懐メロ」って、僕からしたら知らない歌や古臭い歌ばかりですから、全く面白くありません。
ところが、年をとって、自分世代の「懐メロ」ができてくると、割りと楽しめちゃいますよね。
これからの人生(未来)よりも、これまで生きてきた人生(過去)の方が長くなってきたってことでは!?って気づいて、ハッとしました・・・
未来を考える時間よりも、過去を懐かしんで、「あの頃は良かったなぁ」みたいになっていることに、ゾクっとします。
子供の頃は未来のことばかり考えていたわけですが、それって素晴らしいことですね。

懐メロといえば、TikTokのBGMで使われたりしていて、人気になっていたりと、興味深いです。
考えてみたら、両親世代の懐メロが、僕らの時代にリバイバルされてヒットしていましたよね。それと同じような感じでしょうか。

となると、「懐メロ」のような懐古的なモノの中に、未来の需要があるのかもしれませんよ!?
スナックが20代、30代にも人気というニュースを見たことがあります。
(番組側のバイアスはかかっているかもしれませんし、今もその人気が続いているのかは気になるところですが・・・)
スナックって、時代に逆行する超アナログなコミュニケーションの場ですし、内装も古臭い!?ですし、まさに懐メロ的存在です。
でも、若い世代からすると、他人、特に親や上司世代の人とリアルなコミュニケーションがとれる場所として新鮮とのこと。
内装デザインも一周回っておしゃれなのかもしれません。
SNSやマッチングアプリを使って他人とのコミュニケーションすることが日常になっている彼らからすると、スナックという懐メロ的なリアルコミュニケーションは新鮮なようです。

そう言えば、屋台とかも無くなりませんね。
僕が子供の頃からそれは懐メロ的な存在でしたが、外でラーメンなんかを食べられるというのは、僕らからは新鮮に感じました。
今や「遅い時間に、この辺でやっているお店が屋台しかない」というわけじゃないですし、屋台という懐メロの楽しみ方はエンタメ的なものに変わっていますよね。
「屋台=ラーメン、おでん」ではなくなっていて、本格的な料理を提供している屋台もたくさんあります。
楽しみ方(屋台から買っているモノ/コト)が明らかに変わっていますよね。
10代の子たちは、TikTokで僕ら世代の懐メロをBGMにして、奇妙な!?ダンスをしてそれをシェアして楽しんでいますが、これも懐メロの楽しみ方が僕らとは全く変わっているわけです。

そう考えると、スナックも屋台も、楽曲も、楽しみ方が変わっていくことで、今も生き残っているのかもしれません。
古くなってこのまま終わっていく懐メロ的な存在にも、「新しい楽しみ方」の提案ができればもうひと稼ぎできるのかもしれませんね。

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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