その214「青臭い理想論を吐くことの大切さ、とか。」

このコンテンツについて

なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「青臭い理想論を吐くことの大切さ、とか。」

先日、記事に「大切にしている物(物体)」を持参するという課題があったことを書きました。
僕は前回の記事に書いたように、趣味でやっている格闘技(空道)の黒帯を持参していきました。

セミナーでは講師の方と色んなやり取りをして、最後に各自が持ってきた「大切にしている物(物体)」を紹介していくことになり、僕が黒帯の説明を終えると・・・

講師の方から、「少年だよね」と言われました。

どういう意味でその言葉が出てきたのかわかりませんが、妙に腹落ちしました。
というのも、社内では青臭いことを言い続けているし、何事もシンプルに楽しいかどうかというのを考えちゃうし、一方で嫌いなことや苦手なことはホントに嫌いだし・・・
大人になると、理想は、眼の前の現実に寄せたものになっていきます。(それはそもそも理想ではなくなっているんだけども)
そんな環境で、理想を口にすれば、「何を青臭いことを言っているの!?現実と理想は違うよ」と思われて然りですよね。
多くの人は、いつの間にか、「楽しいだけじゃダメ」「嫌いなこと、苦手なことでもやらないと」「綺麗事ばかり言うな」と思うようになってきますね。
そう考えると、僕は異常なまでに純朴な、ピュアな存在なのかもしれません・・・
社内では会長という立場だから、それができるのかもしれませんが。
まぁ、だとしたら、それが社内での自分の役割なのかな!?とも感じます。

自社内を見渡すと、近年「ホワイト化」を進めてきたこともあって、あらゆることが明文化されてきました。結果、ルールでガチガチになっています・・・
会社っぽくなったと言えばそうなのですが、一方で、それってある程度の企業では普通のことですよね。そして、相応に窮屈にもなってもきました。行き過ぎると殺伐としてきますしね。
なんだか、コモディティ化してきて、個性や面白みというのは薄まってしまったかも!?と思うこともあります。
スタッフにとって会社の個性だ面白みだとかどうでも良いかもしれませんが、お客様にとっては案外大事な選定要因ですよね。
「コイツは何かやってくれそう」という期待感を持てるような、興味深い存在であることは大切ですから。
なるほど、そんな風に埋もれてしまわないためにも、青臭い理想論って大事なのかもしれません。

さて、そのセミナーが終わってから、講師の方に「大切にしている物(物体)」を持参することにどんな意味があったのか?」を聞いてみました。
すると、「参加メンバーの現在のキャラクターや、潜在的な本質に辿り着くための手掛かりのひとつ」とのことでした。
空道の黒帯から何を感じ取ってもらったのか、気になるところですね。
押忍。
「こいつ、強い…」と感じ取っていたとしたら、それは大きな間違いですね。
だって、僕は空道、大道塾40年以上の歴史の中で、最弱の黒帯ですから・・・(汗)
「こいつ、しつこい」と感じ取っていたらば、それはあっているかもしれません。
こんな僕でも稽古を続けて、黒帯も取得できましたからね。

 

著者の他の記事を見る

著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

感想・著者への質問はこちらから