すこし寒々しい話を申し上げます。
先日、大型日用品店に行き、目的の商品のコーナーまでやってきました。内容の確認をする必要があったので、そこでしばし腰をすえようとしたときです。
「あ、ここじゃない?」
2人の若い十代くらいの女性がやってきました。そして、私が立っていたところと同じ棚の商品に当たりはじめました。
ちょっと迷ったのち、私はそこから離れました。
家族が近くにいたので、買い物の選定は代わりに頼むことにしました。そこまでして、私は自分の行動のぎこちなさ、不自然さに気づきました。
広々として、人が密集しているわけでもない店内では、私は彼女らと同じ圏内にいることをはっきり避けていました。そしてまた、その理由を家族に問われるのも望ましくありませんでした。
彼女らにとって私はおそらく見えない存在か、顔のない老人にすぎません。それでいいし、それならばむしろ、ありがたい。
問題は、そうでない認識をされる可能性が何割かあるかもしれないことです。つまり、属性が中高年男性という理由で、「キモいジジイ」とラベリングされることです。
正直、そうであっても仕方ないと覚悟はしているのです。自分にも若いときはあり、そのときの気持ちを覚えているからです。
ただ、その何割かの可能性を気にせず、無意味に傷つけられるリスクを放置することはどうにもできませんでした。
現実的に、相手が若い女性であれば、なおさらそのリスクは高くなるでしょう。社会生活で女性が見知らぬ男性一般を警戒するのがあたりまえであるように、私もまた彼女らを属性で判断していました。
だから、これを正当なものとして人に説明することはできないのです。
これらの動機の正体は、「老い」です。
体調など、すでに自覚しているものとは別の、目の前につきつけられる出来事としての老いです。
過去の人生で何度も気配を感じていた、相対した年配の人がみせる逡巡。ようするに
「若者という、自分とは別カテゴリの荒っぽい生き物に、なんか傷つくことをされたらイヤだなあ」
という弱々しい警戒心。それを自分が出す側になったというわけです。

















