人生の通過儀礼のひとつに「ハゲ」があるかと存じます。
ハゲが当事者以外にわかりずらいこととして、程度の違いこそあれ全員に必ず起こるということがございます。
白髪になる系統だから関係ないということではありません。髪自体の太さがめちゃめちゃ細り、立体物としてのボリュームを保つのが物理的に不可能になる、という点では男性のみならず女性でも同じことが起こります。
これはもうほんとうに避けようがない。自分の意志で「いつもと同じ」にすることができないのですから、自分なりになにかを選んでいかなければなりません。
そこで、思い切ったパターンとして、「スキンヘッド」にするという方法があります。
日本人でもいるにはいますが、多く見られるのは白人男性が典型かと思います。おまけでアゴヒゲも生やしがちです。彼らはアジア人のわれわれと比して、髪色が薄いため毛根が目立ちにくく、頭蓋骨の形も後頭部に丸みがありかつ横幅が狭い。簡単にいえば頭の形がいい。
われわれが行うと「おぼうさん」へ一直線なところ、彼らはおしゃれハゲに着地しやすい。
そして、世間ではそういったスタイルチェンジを「潔い」といって褒める感じであったりします。
「髪が薄くなってきたらボウズにすればいいのにね」とは、ボウズの成立条件の難しさを知らない(というか興味ない)層がよくいうことです。
スキンヘッドにした白人男性がキレイにまとまっていることはわたくしも認めざるをえません。しかし、「潔い」という、その評価には異議を唱えさせていただきます。
なぜなら、それは意思で選んでいないからです。髪型によってカッコつけることが不可能になり、次善の策へシフトしたにすぎないのです。結果はカッコいいかもしれませんが、よく見られることにしがみつくような態度はむしろ見苦しいというべきなのです。
ほんとうに潔い姿勢、それは「無残にハゲ散らかす」ことです。
見苦しくならないようにちょっとばかり気をつかっても、無神経な他人から「でもハゲじゃん」と鼻で笑われることなのです。それをただ受け入れることなのです。
ちなみに私はイヤです。どうにかほかのやり方にシフトしてカッコつけつづけたい。とても見苦しいのです。
















