「いまはSNSがあるから」と、みなさんがおっしゃいます。
一分で作れるアカウントと一秒の投稿で、10年前になかったことが当たり前にできる環境がある、ということだと思います。
SNSができる、していること。
具体的には、
情報のスピードと規模を一瞬で地球規模にひろげる。
ビジネスでマーケティングの成否を握る。
また、かつてはありえなかった、社会の不正を個人が暴く可能性がある武器でもある。
同時に、デマの銃弾とフェイクの地雷が蔓延するリスクの場でもある。
世の大半の人がスマホを起きているあいだ握りしめ、自分の内臓より体の一部っぽく扱っている今の時代、それは事実でもあります。しかしハイプでもあります。
なぜなら、本質的な意味でSNSは情報を伝えるツールではないからです。
多くの認識ではおそらく、SNSとは一台ずつネットに接続した楽器のようなものでしょう。誰もが手にすることができる、弾かなくても参加できるけれど、うまく操れば誰でも自分の音色を響かせることができると。
ちょっと、違います。
SNSは、音を出すことができる「道具」です。
それ一つで鳴らした音は、聞く人が10人かもしれないし、100万人かもしれない。
音のデカさはアカウントの資本か知名度かアルゴリズムのいずれかの間で決められ、それ以外のことには関与しません。
フォロワー数人の美しい音色と、フォロワー数百万人の騒音の、どちらが価値があるか、SNS世界では差をつけるのではなくはじめから判断しないのです。
みなが「いまはSNSがあるから」というとき、そこにはSNSが情報を音楽のように意味や価値をこめて伝える能力への期待があります。しかし、それは正確な認識ではありません。
そこで鳴っているのは単に小さい音やデカい音で、実際のところデカい音しか聞こえない世界です。
それはたまたま音楽かもしれないし、そうではないかもしれないのです。
















