その101 コンビニエンスの限界

若いころはしょっちゅう食べていたのに
年齢が行くと手が伸びづらくなる食べ物のひとつ、
カップ焼きそばを久しぶりに食しました。

近所のコンビニに売っているラインナップ、
焼きそばに関しては「大盛」や「特盛」ばっかりで、
「普通」サイズはほとんどありませんでした。
焼きそばって大容量ニーズがあるんだなあ…と、
食べきれなさそうだと思いながらもうまそうに見えた大盛をひとつ買いましたが、
それに書かれている必要なお湯の量は実に「660mm」でした。

こういった食べ物はその場で食べたい客層がいることを
販売側もある程度想定しているので、
イートインコーナーの有無にかかわらず
たいていお湯の入った電気ポットが常備されているものですが、
仮に客一人が660mmのお湯を消費していったとしたら、
ポットの中身は長時間持ちこたえることはできないでしょう。
当然食事時の時間帯には店員が一度や二度、
給水をする必要があるはずなのですが、
そもそもコンビニのような物販中心の店で湯を提供することは
「あってしかるべき」サービスなのでしょうか。

個人的な感想ですが、
このようにコンビニで準備するべきサービスなのかな?と思うことの最たるものは、
ゴミ箱の提供です。
飲料などをその場で飲んだときの受け皿として用意してあるにもかかわらず、
車から出たゴミが押しこまれる場面を見ることはしばしばありますし、
家庭ゴミを持ちこまないでほしいという「お願い」を見かけることも少なくありません。

昨今、コンビニの最大手が出している弁当などは
内容量の減少がシュリンクフレーションの代表格のような扱いで
ネットで叩かれたりしていますが、
そろそろコンビニも、直接コストの削減よりも
「痒い所に手が届きすぎて、むしろ当然だと思われている」
サービスから少しずつ手を引くのもいいのではないでしょうか。

約30年前、ある事件をきっかけに首都圏の多くの駅から一斉にゴミ箱が消えましたが、
その後、ゴミ箱がないことはなんだかんだいって
日常の景色として定着しました。
捨てる場所がなくなったゴミがホームや線路に投げ捨てられることなく
「まあ、これくらいは自分で持って帰るか」
という方向に帰結したのは、誇るべきかどうかはわかりませんが
おそらく世界にもまれな日本人の道徳的特性です。
それを有意義に利用して、悪いはずがありません。

カップラーメン用のお湯やゴミ箱が用意されていないことで
カスハラの攻撃にさらされたり
商機を逃すことにならないのか、それは証明できませんが、
少なくとも、人の食べ残しや見も知らぬ家庭ゴミへの対応を
従業員から解放することは、
企業全体で見たときには馬鹿にできないメリットだと思うのです。

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

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