変と不変の取説 第56回「先延ばしの文化」

「変化だ、変化だ、変化が大事だ」とみなさんおっしゃいますが、会社も商品も人生も、「変えなくてはならないもの」があるのと同様、「変わらないもの」「変えてはならないもの」もあるのです。ではその境目は一体どこにあるのか。境目研究家の安田が泉先生にあれやこれや聞いていきます。

 第56回「先延ばしの文化」

前回、第55回は「なぜ日本人は効率を求めなくなったのか」

安田

延命についてお伺いしたいんですけど。

いつもの、いきなり質問ですね(笑)

安田

日本では高齢化が社会問題になってるじゃないですか。

はい。かなり深刻に。

安田

少子化もひとつの要因でしょうけど、高齢者の延命も問題じゃないかと思うんですよ。本人が「もういい」って言っても無理やり延命されるじゃないですか。

チューブいっぱいつけられて。

安田

たとえば海外に行くと自分で延命を断ったり、安楽死を法律で認められてる国や州もあるじゃないですか。

ありますね。

安田

病院の収益を考えたら延命もいいんでしょうけど。逆にいうと、国としてはそこにどんどんお金が流れていくわけでしょ。

そうですね。

安田

本人も延命を望んでいない場合、誰得で延命してるのかっていうのが不思議でしょうがないんですけど。

これは命というものに対する死生観とか、そういうのがなくなっちゃったからだと思うんですよ。

安田

死生観ですか。

はい。死と向き合うことがないままに生きてるので。死が近づいてくるとみんな混乱しちゃって、死と向き合えないままに先延ばしをしている。

安田

まさに「延命」ってことですよね。

そうです。命の先延ばしをしている。それで無駄なことがいっぱい起こってる。

安田

日本人って「死と向き合うこと」が得意な民族っぽいですけど。

今はすごく苦手になってると思います。

安田

どこかで死生観が変わってしまったんですか?

はい。変わってしまいました。

安田

「生きることの意味」を考えなくなったからじゃないですか。

その通りですね。「生きる」ことと「死ぬ」ことは裏表ですから。

安田

生きることに対して薄くなったから、死に対しても向き合えなくなったと。

そうだと思います。

安田

なぜ考えなくなったんでしょうね。

昔は大家族だったので、身の回りで死ぬ人がいっぱいいたんですよ。

安田

おじいちゃんとか、おばあちゃんとか。

医療があまり発達してなかった時代は、若くして死ぬ人も多かったです。

安田

なるほど。死がもっと身近だったと。

はい。で、葬式とかお通夜でお坊さんが死について語ってくれた。でも核家族になると身の回りで死ぬ人も少ないし、ちょっと遠い親戚だったら行かないし。

安田

確かに。お坊さんの話を聞く機会もなくなりましたよね。

そういう話ができるお坊さんも減ってきました。

安田

檀家さんが減って、お坊さんも生きていくのにやっとですもんね。

死というものに対して学習する場が少なくなって、だんだん「長く生きりゃええわ」みたいになってきた。

安田

やっぱ長く生きたいんですかね。いや、健康だったらわかるんですけど。もう動けなくなって、本人も延命望んでないケースもあるじゃないですか。

ありますね。

安田

でも家族が延命を望んだりする。あれも不思議なんですけど。本人が「もういい」って言ってるのに可愛そうだと思わないんですかね。

普段から死と向き合ってないので。死が目の前に来たときに意思決定できないんじゃないですか。

安田

なるほど。それでとりあえず延命してしまうと。

そうだと思いますね。

安田

会社も「つぶさないように、つぶさないように」という方向に行きますもんね。

はい。会社もかなり延命されてます。

安田

欧米だったらサクッとつぶして、またサクッと新しい会社つくって、その繰り返しですけど。

本来は命も事業も寿命があるものなので。

安田

でも日本は「死なないようにする文化」が根付いてますよね。

そうなってますね。先延ばしの文化というか。

安田

ちなみに国の政策としてはどうなんですか?高齢者を生かせば生かすほど、どんどん国のお金が出ていくわけでしょ。

なので今、国の施策で「何日以上病院にいさせるな」みたいな、強制的に入院の時間を減らすということをやってます。

安田

ということは、延命させない方向に行ってるんですか?国は。

病院にいればいるほどお金めっちゃかかるので。

安田

私ももうすぐ高齢者ですけど、それでいいと思います。なんで高齢者になったら医療費が下がるのか不思議。

若者の負担もすごいことになってますからね。

安田

そうですよ。若者のほうがお金なくても、これから人生長いんですから。なんとか国のお金でカバーして手術とかでもお金出してあげたらいいのにって思います。

そうですよね。

安田

高齢者の人たちは「俺たち殺すつもりか!」とか言いますけど、「さんざん生きてきたんだから、もういいんじゃないの?」って気がします。

そう思ってる人は多いんじゃないですか。

安田

でもそんなこと言ったら選挙で負けるんでしょうけど。

絶対負けますね。高齢者のほうが投票率高いんで。

安田

じゃあ選挙目的ですか?延命するのは。

う〜ん。私はやっぱり死生観がすごく大きいと思います。

安田

死生観ですか。

はい。先送り文化というか。会社の問題とかもぜんぶ同じ。誰も責任を取りたくないからとりあえず先送りしてる。

安田

なるほど。たしかに先送り文化ですね。じゃあ死ぬのも先送りしてるっていうことですね。

はい。意志を持った延命とかじゃなく単なる先送り。

安田

でも先送りしたら何かいいことあるんですか?

先送りして、後でわかるんですけよ。「ああ、先送りするんじゃなかった」って。後悔先に立たず、みたいな。

安田

本人と家族が希望するんだったら、安楽死を導入してもいいと思うんですけど。

やっぱり死となると命の話なんで、宗教的な話になると思うんですよ。でも日本って公の場では宗教的な話はタブーなので。

安田

宗教と関係ありますかね?

魂の話をしてくれる人が意思決定に入れないので。官僚的な意思決定をすると、どうしても問題が起こらないように起こらないように、先延ばしになって行く。

安田

なるほど。

ローマ教皇みたいな人が出てきて「安楽死というのはキリスト教的では認められてることだよ」って一言いったら決まっちゃうと思うんですけど。

安田

そういう人が日本にはいないと。

そうですね。昔はいたのかもしれませんけど、道を示すような賢者みたいな人は今はいないんじゃないですか。日本には。

安田

べつに賢者が出てこなくても、自分の人生の最期くらい、自分で決めりゃあいいと思うんですけど。

だからそれが出来ないんですよ。自分で決められない。先延ばしし続けてきたツケですね。


場活師/泉一也と、境目研究家/安田佳生
変人同士の対談


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第1回:「変わるもの・変わらないもの」
長い間、時間をかけて構築された、感覚や価値観について問い直します。

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