その70「老化の正体とは何か?」

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老化の正体とは何か?

できることよりも、できないことの方が多くなっていく。

もし、これを老化と定義するなら、僕は老化の一途を辿っていることになります・・・

「できること」よりも、「できないこと」のほうが多い状態って、生まれたばかりの子供が一番顕著な例ですよね。
成長とともに、できること/できないことのバランスが変わって、ある日、「できないこと」の数より、「できること」の方が多くなる・・・みたいな!?
そして、それを成長と呼ぶ!?

・・・果たしてそうなのかな?
(勝手に定義して、勝手にギモンを持つ僕・・・)

よく考えたら、何歳になっても未経験なことは多いわけで、できないことは依然としてたくさんあります。
例えば、僕は「津軽三味線」や「カバディ」は未経験ですから、それらに必要な知識や技術は全くありません。
ですから、それらについては、僕のできること/できないことリストの「できないこと」の中に並んでいるはずなんです。本来はね。
でも、カバディの存在を知らなければ、「できないこと」内に追加されることは無かったはずです。

色んなことに興味を持てば、その度「できないこと」を発見することになり、「できないこと」の数はドンドン増えていきます。
つまり、好奇心が強い人ほど、できないことが多くなっていくわけで、老化のイメージとは逆のアクティブな人のイメージになってきますね。
もしかすると、できること/できないことリストの総量って好奇心を測る上で大事なのかもしれませんね。

であれば、老化って・・・

・リストの総量に変化がない
→好奇心や行動力の低下

かつ

・「できること」が「できないこと」になっていく
→能力の低下(肉体的な衰え、記憶力や視力の低下など)

・・・という状態なのかもしれませんね。
新しいなにかに興味を持ち、挑戦することができる肉体と精神って大切ですね。

ところで、「津軽三味線」や「カバディ」って漫画・アニメの題材になっているって知ってました?
漫画・アニメって、年々供給量が増えているんです。
というのも、従来のテレビ、劇場版、OVAに加えて、インターネットによる配信が一般的になってきてますしね。
僕らのように漫画・アニメで育った世代がマーケットを形成していますし。
ちょっと調べたら、アニメ関係だけでもこの30年で4倍以上になっているのだとか。

そうなると、漫画・アニメで部活を舞台にする作品を創ろうにも、ネタが尽きてくるんでしょうね。
野球、サッカーなどメジャー部活!?なんて数え切れないくらいありますから、話の展開もどこかで見たようなものになりますよね。
そこで、「津軽三味線」や「カバディ」という一般的にはマイナーな楽器や競技に白羽の矢が立ち、なんと高校の部活として登場してくるのです!
カバディは日本での競技者が1,000名程度らしいですからね、部活のストーリーとして成立するんだろうか(汗)
それどころか、架空の団体競技「スケートリーディング(フィギュアスケートみたいなやつ)」なるものを創作して部活にしたアニメもありますからね。もうなんでもありです。

津軽三味線はアニメ『ましろのおと』の影響で、興味を持った人が増えて、YOUTUBE動画で津軽三味線動画の再生数がちょろっと伸びているっぽいですね。
かくいう僕も津軽三味線ってかっこいいなぁ、って興味あるんですよね。
空道(大道塾)の黒帯を取得できたので、その次に何をはじめるか検討中なんですよ。(もちろん、空道は継続します。いつか二段に・・・)
空道も日本で生まれた武道ですし、日本の楽器津軽三味線って良いなって考えてたんです。
ところが、調べてみると習うための費用(月謝)が高いんですよね(汗)
老化との戦いために、好奇心と行動力、そしてお金が要ることが分かりました・・・

 

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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