その75「一般的には・・・って何よ?」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「一般的には・・・」って、たまに使いません?

ところで、この「一般的」って何なんでしょうね?
こんなどうでも良いことが気になってくるんですよね・・・
こうなると、友達とかいなくなるんで、ホント注意してくださいね(涙)
「一般的にはこうあるべき/こうすべき」「それは一般的ではない」といった使い方をしますよね。
まぁ、何事にも基準があると話はしやすいですから、「一般的」を一つの基準として利用する分には大変便利ですね。
ところが、僕みたいに「そもそもここでの一般的って何なんです?」という面倒くさいやつも存在するんですよね。
かく言う僕を含め、皆さんも無意識に「一般的」って言葉はよく使っているんです。
例えば・・・

(一般的な)男性/女性は・・・
(一般的な)子供は・・・
(一般的な)会社は・・・
(一般的な)デザイナーは・・・
(一般的な)ブランディングは・・・
(一般的な)日本料理は・・・

といった具合に。

昭和世代に育った男児であれば、「男のくせにメソメソ泣くな!」と、一度くらいは言われた記憶があるんじゃないでしょうか?
これは、「男はメソメソ泣かないのが理想」という考えが、ある環境下で過半数の支持を得ているということなのでしょう。
そして、こうした理想論を一般的とすること自体は、別に良いんです。その人の勝手ですから。
ところが、これを押し付けられると、「違う!」って人も出てくるんじゃないでしょうか。
「男だってメソメソ泣いたっていいじゃないか!」「そもそも、男のくせにという言葉が差別的だ!」「時代錯誤も甚だしい」・・・なんてね。
ある事柄について、過半数の支持が得られることを「一般的」とするなら、それが一般的とは言えない環境も存在しますよね。

ところが、現実社会では「(一般的に)こうあるべきだから、あなたの考えはおかしい!」と、曖昧でよくわからない一般論をたてにされることも少なくありません。
こうしたケースで使われる「一般的」は、その人にとって都合の良いエビデンスの集合体だったりします。

例えば・・・
僕が小学生だったころ、任天堂のファミリーコンピューターが欲しくて、「皆、持っているから!」と親にせがんだのです。
「皆」って誰やねん!?ってことなんです。
そう、ファミリーコンピューターを持っている子供たちをピックアップして、僕は「皆」と定義したのです。
皆が「All of my classmates」という意味であれば、当時はファミリーコンピューターを持っていない子の方が多かったはずですが、僕は都合よく「皆(一般的)」の解釈を捻じ曲げたんです。

なんか、そう考えると、大人になっても多少弁が立つようになった程度で、やってることってあんまり変わらないんですね・・・(苦笑)

「一般的にはこうあるべきだ」といった表現をする場合、僕みたいなひねくれたコミュ障からしたら、「一般的には…ってもっともらしく説明して、まどろっこしいやっちゃな?要するに自分はこう思っていて、相手が間違っているって言いたいだけやろ?そのためにわざわざ都合のいいケースばかりを集めて一般的って言ってるだけでさ」って思っちゃいますけどね。(←絶対友達できないタイプ)

ところで、この「一般的」には、すごい便利な面もあって、それがために好まれる表現でもあります。
それは、万一、その意見が間違っていたとしても、(私じゃなくて)「一般的」にそう言われているってだけなんだ、という失敗した後のダメージを軽減効果です。
そう弁明されてもダメージ軽減していると思っているのは当人だけなんで、こっちとしては白けますけどね・・・

・・・

・・・

もしかして、こういう思考を「一般的じゃない」って言うのかな!?一般的には・・・(汗)

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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