その107 人類総ドM説

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

人類総ドM説

先日、あるSNSグループの審査に落ちたんです・・・

実は、申請したことすら忘れていたのですが、結果を聞くと、猛烈な悔しさみたいなものがこみ上げてきたんです!
心は荒波の如く乱れ、激しく動揺し、不甲斐なさに怒りがこみ上げてきました。

なぜか?

それは、僕は「負ける」のが嫌い・・・というか、とにかく怖いんです。
時代が時代なら、「負ける」ということは、死ぬということです。
全てを否定され、全てを失うような感覚に陥ります。
・・・なんか極端ですけど。
そんな風に考えちゃうのが僕なんです。
まぁ、こんな面倒くさい人がグループにいると厄介だから、落として正解ですよね(涙)

「負けるのが嫌い/怖い」という割に、僕には「勝ちたい!」と思ったり、自分の力を誇示したいという願望はほとんどないので、基本的に他者と競い合うのは好きではありません。
優劣がつくのはしょうがないのですが、勝敗がつきますよね。
だって、負ける可能性もあるので、すごく怖いでしょう?
とは言え、自分が望まなくとも結果的に競争を強いられる場面はあるわけです。
例えば、仕事なら競合他社とのコンペとかもあるでしょう。
そうなると負けるのが嫌すぎて、「負けたくなければ、なんとしても勝つしかない!」という発想になるのです。文字通り全力、死力を尽くします。
趣味でやっている格闘技(空道)で試合に出たときも、「負けたくない(死にたくない)」一心でした。
結果、逃げながら相手をペチペチ叩くという前代未聞の組手スタイルを開眼し、負けずに済みました。負けなかった結果、小さい大会でしたが優勝できました。

つまり、僕の思考は・・・

負けたくないから、勝つしかない
→そもそも勝ちたいって思っているわけじゃない。

・・・ということです。

これ、似たようなケースで・・・

太りたくないから、運動している
→そもそも運動なんてしたくない。

虫歯になりたくないから、歯医者さんに行く
→そもそも歯医者さんは嫌い/怖い。

・・・など、あって、日常に案外ありそうですよね。
「Aがとにかく嫌だから、しぶしぶBをする」って類のもの。

ただ、よくよく考えると、これって両方とも嫌なことなんですよね(苦笑)
「太りたくもないけど、運動もしたくない」というのが本音であって。

だから、この「B」に当たる部分をせめて楽しそうに見せるビジネスが出てくるわけです。
コロナ前に流行った暗闇フィットネス(エアロバイクやボクササイズ)なんかは、しぶしぶやる「B(運動)」に“おしゃれ”とか“楽しそう”、“映える”といった印象を付けたわけです。
ブランディングですよね。
小児歯科も楽しげな雰囲気に装飾されてたり、治療中に動画が見られるように天井にモニターが付いていたり、治療が終わったらおもちゃ(ご褒美!?)がもらえるとか、そういうのありません?

そもそもなんですが、なぜそんなにしてまでやりたくない「A」を、いっぱい抱えているのでしょうかね。
もしかして、「人類総ドM説」・・・あるかな?

 

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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