その167「令和の時代に老害認定される上司が教育について書いてみた」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「令和の時代に老害認定される上司が教育について書いてみた」

社会人の中には、「教えてくれる人がいない」「教育制度がない」と言う人がいますね。
これ、会社側は「教育しているつもり」でも、新入社員からしたら「そんなの教育じゃない!ちゃんと教えろ!」ということなのかもしれません。
一方、入社後に3ヶ月くらいの研修を行う会社もあって、僕ら中小企業からしたら立派な教育制度を持った会社に見えます。
ところが、そうした制度があったとしても、やはり不満を言う人は一定数いるでしょうし、実務において企業側が期待するような成果を出せない人もいるわけです。

無ければ無いで不満を言い、あったらあったで「これは違う」などと不満を言う。
人間って不思議な生きものですよねぇ。
こんなの、「足るを知る」と言った老子にしばかれますよ(苦笑)
しかし、こうして不満を持つ人の中には、主体的に改善行動をとる人がいて、周囲を巻き込んでドンドン改善していくこともあります。
不満を募らせて会社を責めるのではなく(他責ではなく)、「自分でできることもたくさんある」と主体性を発揮しているわけです。
こうした人のおかげで、人類は進歩発展を遂げてきたのでしょうね。

教育と言えば・・・
最近、相撲界を題材にしたドラマ『サンクチュアリ -聖域-』を見て、その後に相撲のドキュメンタリー作品も見ました。
それによれば、相撲界で実務教育にあたるものとして、先輩力士との取組稽古(スパーリングみたいなもの)があるようです。
驚いたのが、ひとつ取組が終わる度に、後輩たちが「次は自分とお願いします!」と先輩力士の周りに殺到するんです。
大きな身体の力士たちが、「はい!はい!(次お願いします)」と手を上げて急いで駆け寄るんですよ。
これ、学びの機会を自ら取りにいかないと、十分には得られないということですよね?
その姿を見て、僕は「かくあるべきだ!」なんてジーンとしましたよ。(←こういう上司は令和の時代に老害認定されるやーつ)

学びの機会を創り、与えると、「これじゃない」と文句を言われる。
学びの機会はあるけども、それを自ら取りに行く必要性があって、それが相撲のように苦痛を伴うようなものであっても、不満は出ない。それどころか、「もう一丁!」となる。
不思議なもんですよねぇ。
考えてみれば、相撲だって仕事ですからね、そういう点では僕らの仕事や教育と共通する部分だってあるはずなんですが。

あと、前述の相撲のドキュメンタリーで、ある大関が「言い訳せずに、やせ我慢することを覚えて欲しい」と後輩力士たちに向けてメッセージをおくっていました。
これを聞いた僕、「そう!これだよッ!」と目頭が熱くなる思いでしたよ。(←こういう上司は令和の時代に老害認定されるやーつ)

僕と同じ考えの方、一度一緒に飲みませんか?
「最近のやつらは…」「まったく、けしからん…」「俺たちの頃なんて…」と、ブツブツ文句言いながら。(←こういう上司は令和の時代に老害認定されるやーつ)
他責で文句しか言わないおっさんほど不要なものってこの世に無いですよね。きっと、そんな飲み会になるはず・・・

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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