このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「あなたは何の評価者(レビュアー)?」
別れた相手のことを良く言う人ってどれくらいいますかね?
「別れた」ってことはそれに至るネガティブな理由があるわけです。
例えば、相手に対して期待していることがあって、「思ってたのと違う(期待外れ)」なんてことはあるかもしれません。
さらに、お互いの価値観を否定し合ったりしてね・・・(汗)
結果、お互いに大なり小なりの不満を持って別れることになります。
でも、何年か経って、様々な人生経験を積んで、振り返ったときに、「あの人とは、ただ価値観が合わなかっただけだよなぁ(私と合わなかっただけ)」と思えることもあるのではないでしょうか。
Aさん、Bさんというカップルがいたとします。
しばらくして、価値観の相違からか、二人は別れました。
その後、第三者が、それぞれに相手の印象を聞いたとします。
Aさん、Bさん共に相手に対して何らかの不満があったわけですから、どちらかと言えばネガティブ寄りの評価になりそうですよね?
その評価って、付き合いたての頃とは全く違うはずです。
こんな評価、当てになるのでしょうか・・・(苦笑)
同じ様に社員さんの会社に対する評価も、「入社時」と「退職時」で違いそうですね。
「こんなはずじゃなかった!」「ボンクラ上司が!」と退職した社員さんは、会社に対してネガティブな評価をするでしょうし。
一方で、事情(旦那さんや奥さんの転勤など)があって退職せざるを得なくなったケースでは、社員さんの会社評価も変わりそうです。
会社のクチコミ評価サイトには、退職した社員さんがレビューをすることが多いので、その人がどんな感情で退職したのかよくわかって興味深いですよね。
「えー、あなたそんな風に思いながら働いてたのぉ!」みたいなのもあって、面白いですよ。
経営者の中には「好き勝手書きやがって!」って言いたくなる方もいらっしゃるでしょうが、まぁ、評価ってそういうものですからねぇ。
ただ、会社側はその社員さんに対してのレビューをすることができないので、言われっぱなしというのはありますけどね。
UBERやGrabなどの配車アプリでは、ドライバー、乗客がそれぞれを評価し合う仕組みで良くできていますよ。
こんな風に考えると、評価者のことをよく知らない中で、彼らの評価ってどれだけ自分にとって有益なのか?って少し疑問ですね。
評価者(レビュアー)の中に「私と同じタイプだ♪」ってのを発見できたら、そこそこ参考にはなるかもしれませんが。
そう言えば、僕も「漫画や小説でおすすめを聞くときはこの人」「美味しいごはん屋さんはあの人」って感じで、「私と同じタイプだ♪」な評価者(レビュアー)に頼りますからね。
なるほど、「自分は誰の、何の、評価者(レビュアー)になり得るのか?」って考えてみると面白いかもですね。
キュレーターとして一定の需要があれば、それはビジネスになりますからね。
思わぬ価値を発見できるかも!?
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。