その208「鶴の一声が起こる理由」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「鶴の一声が起こる理由」

経営者の一声で全てがひっくり返ってしまう。
そんな経験ありませんか?
もしかすると、皆さんはひっくり返す側なのかもしれませんが。

なぜそういうことが起こるのでしょうか?

散々ひっくり返してきた僕が、自分自身を顧みて分かったことがあります。
それはプロセス(過去)を十分に理解していない人に任せると、思いもよらぬ方向に進んでしまって、結果、「いや、(申し訳ないけど)そうじゃない!」と言わざるを得ないということなんです。

今月、オフィス移転が完了したのですが・・・
オフィスで必要な物品の購入や、物の配置、BGMに至るまで、僕は全てひっくり返してきましたw
それで気づいたんです。
「任せたスタッフはオフィス移転の経緯、物件の選定から内装デザインのプロセス(過去)を知らない」って。
例えば、BGMの選曲をしていて、「あ、良い感じ」となっても、僕からしたら、「それはオフィスのコンセプトとは違う」となるわけです。
別にそのBGM自体は悪くないんですよ。
でも、プロセス(過去)から考えると、その選曲はつながってこない訳です。
例えば、南から北に向かって歩いて来たことを知っていれば、これから向かう方向が北であることも分かるわけです。
それを知らなければ、西や東にフラフラ行ってしまってもしょうがないよな、と。
その結果、鶴の一声から、ちゃぶ台返しですよ(苦笑)

ブランディングの仕事をしていると、事業継承のタイミングで相談されることがあります。
ところが、創業者の影響力はまだまだ大きく、社員さんもどちらに従えば良いのか顔色を見ている状態で、まだまだ先代の影響力が大きいため、後継者は動きづらく、先代のことを疎ましく感じていらっしゃる・・・みたいことがあったりね(汗)
創業者からすれば、「社長(息子/娘)はわかってない。まだまだだ!」となっていたり、後継者からすれば「もういい加減任せて欲しい…」となったりね。
そんなケースでは、後継者は先代の話を、先代の自伝が書けるくらいまで聞き切ると良いです。
つまり、前述の話で言う「プロセス(過去)」を読み解き、どの方角から、どの方角へと歩いて来たのか?を知るわけですね。
そうすることで、現在起こっている事象に対して、先代と同じような基準でもって判断できることになります。
もちろん、その判断が正しいかわかりませんが、これまで会社経営をしてきたわけですから、今のところ大きく間違ってはないはずです。
ビギナー経営者にとっては、心強い補助輪にも成り得るはずです。
そうした後継者の姿を見て、先代はホッとするでしょうし、経営に口出ししてくることも少なくなるはずです。
つまり、鶴の一声も起こらないってことですね。

鶴の一声に悩まされている皆様/悩ませている皆様、前述の継承問題以外のケースでも「聞き切る/伝え切る」は効果的なので、ぜひお試しください。

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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