その211「結局、人生万事塞翁が馬なんじゃないか!?って思った話」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「結局、人生万事塞翁が馬なんじゃないか!?って思った話」

もし、あなたが自分の人生を大切に思うならば、時間を浪費しないことだ。
なぜなら、 人生は時間で出来ているからだ。

ベンジャミン・フランクリンの言葉ですが、日本法人の社長が日報でこの言葉を引用して時間の(使い方の)大切さについて伝えていました。

ところで、「時間を浪費する」というのは、どういうことなんでしょうかね?

僕は、ぼーっとYOUTUBEでくだらない動画を見ているとき、確かに「浪費しているなぁ」って感じます。いつの間にか1時間とか経っていて、軽い自己嫌悪に陥ったりね。
一方、それがお客様との会話のネタになったり、企画のヒントになったりすることもありました。
そうなると、浪費だったその時間は、突然、有益な時間の過ごし方に変わりませんかね?
(浪費の対義語が倹約や節約ですが、ここでは分かりやすく有益な時間としています)
例えば、一生懸命に働いて、成功者になったとしたら、そこに費やした時間は有益そうですよね。
でも、その成功者の家族が病気になって、亡くなってしまったら、「もっと一緒に過ごしてあげれば良かった…」と過去の時間の使い方を悔いるかもしれませんよね。
(もちろん仕事に励んだ時間を浪費とするには無理がありますけどね。)

ということは、かつて過ごした時間の価値は、その瞬間瞬間の時価で測られるということでしょうか。

実は、今、フィリピン子会社のテーブルでこの記事を書いています。
30代の頃、海外視察によく行っていて、その結果、フィリピン(マニラ)に会社を作ったわけですが、もし会社を作っていなかったら、海外視察に費やした時間は浪費と言われてもしょうがないかもしれません。
また、子会社設立当初は品質も悪く、安定しなかったので、親会社(と言ってもこちらも僕がやっている会社ですが)からは「浪費」と考えられていたかもしれませんが。
ところが現在では、フィリピン子会社は無くてはならない存在になっていますから、僕の過去の時間は今の時価で換算すると有益な時間だったことになります。

結局、「人生万事塞翁が馬」ということなんでしょうかね。

この言葉、友人経営者がよく使う言葉でした。
彼が講師をしていたセミナーに参加して知り合い、それからすぐに彼の会社を見学させてもらい、そのときに「2、3週間後に上海行きますけど、一緒に行きます?」と誘われて、「あ、はい、行きたいです」と答えたのが僕の海外視察の始まりだったわけです。
十数年前の話ですが、それが、今、僕がフィリピン子会社でこの記事を書いているところまでつながってきます。

面白いですよね。
人生何があるかわかりませんが、ひとまず目の前のことに一生懸命であることに間違いはなさそうですね。

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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