その204「評価されたいくせに、評価されると受け取らない面倒くさい人たち」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「評価されたいくせに、評価されると受け取らない面倒くさい人たち」

「いい評価をもらいたい!」って誰もが思いますよね?
人の目をあんまり気にしない僕だって、「すごいねぇ」「天才ッ!」とか言われたら、まんざらでもないですよ。

ところが、他者(会社や家族などのコミュニティを含む)からの評価を“受け取れない”人が一定数いるんです。
そんな人って、ずーっと辛いと思うんですよ。
だって、どんなに良い評価をされていたとしても、受け取れていないので、結局、「自分は評価されていない」と思っているわけですから。
なんとか評価されたくて、突然、求められていないようなことを始めたりするんです(苦笑)
当然、そんなことは求められていないから、誰も評価しないんですけども。
すると、「評価してくれない相手の方が無能だ」となって、批難し始めたりしてね・・・あぁ、面倒くさい(苦笑)

このサイクルから抜け出せず、受け取れない人の人生って、あんまり幸せじゃないですよね?

そんな馬鹿げたサイクルから抜け出すには、眼の前の評価を素直に受け取ってみること。
それは、自分を受け取るということ。
自分を受け取れない人は、常に自信がない人なんですよね。
ぽっかり空いた穴を埋めるために、本を読んだり、セミナーに行ったり勉強して、自信がないから資格を欲したりもする。他には何かの賞に応募したりね。
でも、どんなに勉強しようが、資格や賞を取ろうが、その穴は埋まらない。
だって、そんな自分の努力すら受け取れていないから(涙)

こんな部下や友達がいたらどうです?
あなたのパートナーだったらどうです?
面倒くさいでしょうw

受け取れない人になってしまった原因を、その人自身が気づけないといけません。
何がきっかけでそうなってしまったのか!?って。
そして、自分の取扱説明書を作って、それに基づいて自分を上手に操縦しないと行動は変わりません。

・・・あぁ、面倒くさいw

人と関わるということは、こういう人とも関わるということです。
ちなみに、当人は「評価してくれない相手の方が無能だ」という姿勢ですから、自分が受け取れていないことには全く気づいていませんよ(汗)
さらに、まぁまぁいい歳した大人だったりします。
「さっさと受け取ればいいのになぁ」って、自己承認高めの僕なんかは思っちゃうんですけどね。

評価といえば・・・

20代前半の頃、アパレルで働いていたとき、深夜、会社で値札の取り付けをやっていました。
会社で失態続きで、うだつの上がらない状態だったので、なんとか挽回したい、会社に認められたい、って思ったんです。
深夜、会社に明かりがついているのを不審に思った社長が見に来て、見つかりました。
そして、「会社が求めているのは、そういうことじゃねーんだよッ!」と怒鳴られましたよw

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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