泉一也の『日本人の取扱説明書』第34回「士の国(前編)」

江戸から明治にかけ「大政奉還」「五箇条の御誓文」「廃藩置県」を経て封建的鎖国から西洋的開国がなされ文明開化を果たしたが、その新しい世にサムライは不要であった。サムライたちは行き場を失い、各地で武力による反乱を起こした。ついには維新三傑である西郷隆盛率いる薩摩軍が西南戦争を勃発、サムライと軍人の戦は城山にてサムライが敗北。一連の乱は終結した。鎌倉の世から七百年続いたサムライは、この城山にて西郷隆盛と共に日本の歴史から消えた。

鎌倉から続いたサムライによる幕府は、恐怖支配ではなく、独裁もプロパガンダもなかった。武士たちは武力でなく何によって国を統治していたのか。それはお家制度(藩がその主軸)に基づいた「ご恩と奉公」だった。このご恩と奉公という関係性は、西洋の「個人の自由意思と基本的人権」を軸とした社会契約関係とは違い、相互が利他的に関わる関係=互恵関係であった。互恵関係には「個人の権利」がない。権利を軸にしないから契約書化、つまり文書化ができない。よって制度化もできない。制度化できないからといって遅れているのではなく、逆に制度化していないのに互恵関係が保たれた社会が成り立っていた点では優れていたといえる。

明治の世になりご恩と奉公に生きるサムライたちは、社会契約論の世界では無用の長物。その土台となるお家の藩は邪魔な存在。だから全て取り潰された。「自由意志と基本的人権」の時代に「ご恩と奉公」のサムライたちは、奉公先の藩を失い、手に職がなかった者は日本社会への奉公もできず、そして最終奉公手段である反乱に至り、滅んだ。死に際までサムライを貫いた西郷隆盛は、鹿児島では南洲神社にて崇められ、上野公園の西郷像は、日本人の多くに愛されている。ご恩と奉公に生きたサムライの生き様を日本人は原点に持っているからだ。

 サムライという名を持つ現代の士業が、皮肉にも社会契約を土台にした法の専門家である。もし士という名の通り、サムライスピリットを持っているなら、その才で和魂洋才の社会を築くことがお役目であろう。日本人が発明した「ご恩と奉公」という関係性を現代で実現せよと、時代に散ったサムライたちは天から見守っている。(後編につづく)

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

著者ページへ

 

感想・著者への質問はこちらから