第184回「日本劣等改造論(16)」

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

 ― めぐる文化(後編)―

前編は、人間は宇宙の循環から外れ、滅びの道を歩んでいるといった暗めのお話だった。後編はつばめのごとく天の視点から地上に希望の星を探しにいこう。

人間ひとりが死んで焼かれて灰になると、同時に100兆の命が失われる。その100兆とは人間の体に住む細菌などの「微生物」。我々は1000種100兆の別の命と共存しているのだが、まったくもってそんな感覚はない。

60キログラムの人の体内に住む微生物を全部かき集めると1キログラムあるらしい。500mlのペットボトル2本分もある生命が体内に住んでいるなんて想像できるだろうか。

その微生物たちは、自分の体に居候しているのか、ヒモになってエネルギーを奪っているのか。幾分かはエネルギーをとっているが、本体(人間)の命を維持するために、病原菌のバリアーになったり、免疫を司ったり、Phを調整したりと大活躍している。無料でそんなことしてくれる仲間がたくさん身体に居座ってくれるって超ラッキー。

1000種100兆の微生物が体内で今も活動をしているのだが、その土台を作っているのは一体何なのか。多種多様で大量の生命体が全体で調和するなんて、どんな仕組みになっているのだろう。このビッグデータをスーパーコンピュータでもって解析しても果てしない時間がかかる。

この調和を生み出しているのは命であるが、命の正体がわからないので仕組みがわからないのは当然だが、少なくとも個人=命でないのは確かだろう。命とは「めぐる」という動詞の中に存在しているので、定点観測しても意味がない。めぐっている状態こそが命であるので、めぐっている何かがこの調和を生み出しているはずである。
先日、ウンウン考えごとをしていると頭が痛くなった。頭がスッキリせず何かが詰まっている感じがしたので、頭のツボを触ると痛いので自分でマッサージをしたのだが、少し強すぎたのか腫れてきて小さなシコリができた。さわるとヒリヒリする。心配になって場活仲間の鍼灸師(逗子・葉山にある天空洞)に連絡すると、リンパが腫れているとのこと。触らずにそっとしておいてと言われ、そのままにしておくと自然と腫れは引いた。

翌月、鍼灸治療を受けに葉山までいった。まだ頭が詰まっている感じだったが、肘の近くのツボに鍼を打ってもらうと、頭の詰まりがすっととれ、頭が緩んでくるのがわかった。頭ではなく、肘に頭のめぐりを良くするツボがあったのだ。「頭は優しくマッサージして、肘のツボですよ」と教えてくれた。その日の夜、鍼灸師夫妻とその息子くんとビールを一緒に飲んだが(横須賀ビール)、冷たい地ビールを5杯も飲んだのに、身体はホットだった。

めぐりとは循環であり流れである。循環✕流れを脈という。脈を読み取れば、そのめぐりを感知して調整ができる。脈を生み出す元を氣というが、100兆の共生する微生物くんたちは、その氣の世界で調和しているといっていいだろう。

思考の世界に長くいると、一方通行と二極化の世界に留まって淀みが生まれる。鍼灸を受けるとそんな淀みがなくなるので、めぐる感覚を取り戻せる。病気の治療ではない。「めぐる」を取り戻す治療である。

めぐり循環していることはいくら考えてもわからない。なぜなら思考は一方通行と二極化が得意で「めぐる」は苦手中の苦手。思考が苦手な人はラッキー。「めぐる」に意識をむければ、宇宙の豊かさにすぐにつながるからだ。私は思考派なのですぐに淀む。だから鍼灸が必須である。子供の頃から小児鍼に通っていたのはなぜだったのか今ならわかる。

日本人は昔から「めぐる」がわかっている。だから多様なる八百万の神様が共存し、仏教の輪廻転生がわかり、前前前世という歌が流行るのだ。

 

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著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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