第45回 いじめられっ子からの転身

この対談について

住宅業界(新築・リフォーム・不動産)の「課題何でも解決屋」として20年以上のキャリアを持つ株式会社ランリグが、その過程で出会った優秀な人材を他社に活用してもらう新サービス『その道のプロ』をスタートしました。2000名以上のスペシャリストと繋がる渡邉社長に、『その道のプロ』の活用方法を伺う対談企画。

第45回 いじめられっ子からの転身

安田
今までは「センリョク」や「その道のプロ」など、渡邉さんが手がけている事業を中心にお話を聞いてきましたが、今日は渡邉さん自身を深掘りさせていただければと。ご出身は大阪ですよね?

渡邉
ええ。大阪の住之江区のあたりです。実は安田さんの故郷とも近いんですよね。ちょっとやんちゃな地域というか。
安田

まぁ、端的に言えばガラが悪い地域ですね(笑)。今はだいぶ落ち着いているみたいですけど。私も父がやっていたガラス工場に遊びに行こうとすると、必ず道中でカツアゲにあったりしてましたから(笑)。


渡邉

なんと……でも確かにそんな地域でしたね(笑)。

安田
笑。渡邉さんはそこでどんな幼少期を過ごしたんですか?

渡邉
小さい頃はすごく泣き虫で、小学校低学年くらいまではシャイで引っ込み思案なタイプでした。
安田
へぇ。私の知っている渡邉さんのイメージからは全く想像できませんね。じゃあカツアゲもしなかったと(笑)。

渡邉
ええ、どちらかというとされる方でしたね(笑)。ずっと1人で将棋を指していたり、「ラジオクラブ」ってマニアックなクラブに入ってたり。
安田
「ラジオクラブ」ってあまり聞きなれないですけど、何をするんですか?

渡邉
ラジオを組み立てたりするのかと思って入ったんですけど、実は「ラジオ無線」の方で(笑)。「まずはモールス信号を覚えるところからだ」って、縦笛でモールス信号を吹く練習をさせられました(笑)。
安田
へぇ、そんなクラブがあるんですね。たしかワイキューブに入社する時には、軟式野球部のエースだったと聞いたような……そこからするとだいぶギャップがありますけど、小学校の頃はスポーツはやってなかったんですか?

渡邉
小学校4年生の時に、「一度スポーツをやってみろ」と先生に誘われてソフトボールクラブに入ったんです。その辺りがちょっとした転機かもしれないですね。でも、もともと運動神経が良かったわけじゃないので、最初は練習についていくのもやっとで。
安田
へえ、でも空手もやってませんでしたっけ?
渡邉

そうですね。空手は小学校2年生くらいから始めました。僕があまりにもいじめられっ子なので、心配した両親から勧められて。

安田
そうなんですか。ご両親から「ちょっと鍛えてもらって来い」と送り出されたわけだ。

渡邉
いや、それが当時は勧められたことには気づかなくて。というのも、ある時実家のリビングのテーブルの上に「少林寺」という映画のビデオが置いてあったんです。それを留守番している時に1人で観てハマってしまって。「僕もリー・リンチェイになりたい!」と両親にお願いして通わせてもらったんです。
安田

ほう、なるほど。それがご両親の作戦だったと(笑)。ちなみに空手っていろんな流派があると思うんですけど、どんなタイプの空手だったんですか?


渡邉

糸東(シトウ)流という「型」が中心の流派だったんですが、でも実際はけっこう実戦的でしたね。というか、今考えると師範が破天荒な人だったんですよね。子どもたちに練習させて自分は麻雀をやってて。道場も散らかっていて、床に針金とかガラスとかが落ちてるんですよ。だから足の裏にケガが絶えない(笑)。

安田

それはすごい。いろんな意味で鍛えられそうですね(笑)。ともあれ、小学校2年生から空手をやっていたら、高学年くらいになると同級生の中でもかなり強い方になってたんじゃないですか?


渡邉
そうですね。運動神経も良くなって、性格もアクティブになったので、元々のいじめられっ子キャラからはだいぶ変わりました。
安田

スポーツのおかげで180度変わったわけですね。まぁ、いじめられっ子を貫いた私からすると、生まれ持った性格ってなかなか変わらない気もするんですけど。

渡邉
笑。でも僕も中身は変わってないと思いますよ。いまだに基本的にはいじめられっ子気質というか。
安田

そうですか? 私からすると、渡邉さんはどちらかというといじめっ子キャラな気がしますけどね。いじめられっ子っていざこざに巻き込まれないよう、いじめっ子に対してかなり感度のいいアンテナを張ってるのでわかるんですよ(笑)。

渡邉
う~ん、根っこの部分では荒っぽいところがあるんですかね(笑)。言われてみると、たしかに職人さんたちに囲まれて育ちましたし、中学校はかなり荒れていたので、そういう影響はあるかもしれません。
安田

ほら、やっぱり(笑)。中学校がけっこう荒れていたということは、渡邉さんも喧嘩三昧だったりしたわけですか。

渡邉
いや、そこまでは(笑)。他の中学校との抗争に駆り出されることはありましたけど、僕は人を殴ったりするのが好きじゃないので、端っこの方で目立たないようにしてました。
安田

ほう。じゃあ自分から喧嘩を売ったり殴ったりするタイプではないと。まだまだ私の渡邉さんに対するイメージとは違う気がしますけど、これ以上は突っ込まないようにします(笑)。

 


対談している二人

渡邉 昇一(わたなべ しょういち)
株式会社ランリグ 代表取締役

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1975年、大阪市に生まれる。大学卒業後、採用コンサルティング会社ワイキューブに入社。同社の営業、マーケティングのマネージャー、社長室長及び、福岡などの支店立上げを担当し、同社の売上40億達成に貢献した。29歳の年に株式会社ラン・リグを設立し、今期20期目。述べ900社以上の住宅会社のマーケティング、人材コンサルティング支援と並行し、500店舗以上が加盟するボランタリーチェーン「センリョク」など、VC、FC構築にも多数携わる。また、自身が司会を務め、住宅業界の経営者をゲストに招き送る自社のラジオ番組は、6年間で、延べ300回以上の配信を経て、毎月2万人以上の業界関係者が視聴する番組に成長した。今年5月には、2000人以上のプロ人材とのネットワークを生かした~社長の右腕派遣サービス~【その道のプロ】を本格リリース。

 


安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家

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1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。

 


 

 

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